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老後があるかどうかわからないので

2025.01.28(火) 07:00

1月28日。明日61歳になるということは、今日が60歳のラストデーである。若い頃、特に学生時代などは両親が鬱陶しくて遠ざけてばかりいたが、それなりの年齢になるともう一度でいいから会いたいなという気持ちが強くなる。母は62歳で、父は71歳で、神様のもとへと旅立っていった。

母の生きざまは壮絶で、若い頃には降り注ぐ焼夷弾から逃げまどい、年がいってからは逃げる対象が爆弾から借金へと変わった。エッセイにも書いているからご存じの向きもあろうが、父が会社を倒産させて我が家は火の車となったが、その何年も前から尻には火がついていて、月末になるとため息をついている母を見ていた。

母が還暦になったときには入院していたが、おそらく過度のストレスによるものだったのだろう。死因もわからないまま最後の呼吸を終えた彼女が肺がんであるとわかったのは解剖後であった。悔しい悔しいと何度もおっしゃる医師の言葉が病室のなかをぐるぐる飛んでいたが、私は黙って立っているだけだった。何も考えていなかった。涙も出なかった。呆然としていた。

昨日のメルマガに書いたとおり、母には老後がなかった。老いる前に死んでしまった。だから私は決して「老後はこうしたい」とは考えない。今やっておかないと、いつ入院することになるかわからない。いつ旅立つかわかったものではない。老後はこうしたいと言う人を見ると、果たしてあなたに老後はあるのかなと言いたくなる不届き者である。

中学校だったかのときに、医者から「二十歳まで生きられるかな」と言われたせいで、比較的若い頃からずっと死ぬことを意識してきたが、おかげでやりたいことを先送りせずに生きてこられた。ぜん息持ちでも悪いことばかりではないということだ。残りの人生が何年あるのかわからないが、せっかく生まれてきたのだからやりたいことをやり残さずに生きよう。

木村達哉

追記
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