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灘校の同窓会に出席して

2025.02.22(土) 09:00

2月22日。灘校66回生の同窓会で東京行き。品川のホテルが会場であった。行くかどうしようか迷っていたのは、退職した人間がのこのこと学校なりこの手の会なりに出かけていくとけっこう良い思いをさせてもらえることを知っているからだ。先生!お元気でしたか!などと声をかけてもらえる。

それが嫌いなのだ。だから行こうかどうしようか迷っていたのだけれど、福島の前川君から、先生が来ないと始まらんでしょと言われ、たぶん私が行かなくても始まるものは始まるだろうと思いつつ、同じように退職した彼が行くのであればと思って参加した。結論から言えば、参加してよかった。

参加名簿を事前にもらっていたのだけれど、名前を見ても顔を思い出せない。これはえらいことになるかもしれないなと思っていたのだが、中1から高3まで持ち上がるシステムの灘校だけに、会ったらすぐに思い出すことができた。高校から入ったきた生徒たちとは3年間の付き合いだが、そちらも問題はなかった。

医師をやっている教え子はそれなりにいたが、経営コンサルティング企業で働いている者、LOTTEやNHKといった大きい企業で働いているもの、会社を2つも3つも経営している者など、それなりに頑張って生きているようである。官僚になった教え子もいたが、いっときに比べればかなり減った。

なにかひと言喋れと言われたのが、まだ29歳の彼らである。18歳のときとまださほど精神性が変わったわけではなかろう。死を意識する年齢になればおそらく今と随分変わった自分を見つけることだろうから、君たちが還暦を迎えた頃にまた会いたいと述べた。その頃には私も90歳である。必ず生きているからまた会おうと申し上げた。

奈良県の小中学校も大阪の高校も、私には同窓会の通知が届かない。自分の同窓会には出たことがない。教員になったおかげで、教え子という人たちと付き合い続けることができるのは、嬉しいというより自分の人生を振り返りながら前進することができるという点で、良いことだと思う。

同窓会が終わったらさっさと会場を後にしたが、次は10年後に行われるらしい。相変わらずへそ曲がりな私のことだから、またぞろ前川君のお世話になるかもしれない。ただ、30年後の彼らには会いたいなと思う。おそらく多くは結婚し、なかには孫もいる年齢になった彼らが、どんな人生を生きてきたのか、どんな失敗をしてきたのか、じっくり聞いてみたい。

木村達哉

追記
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