3月12日。松山から帰るフライトを15時半の遅い時間にしたのは司馬遼太郎先生の「坂の上の雲ミュージアム」を再訪するためである。前回は松山市にある塾を訪れた翌日に早足で見て回ったのだが、どうしても展示や説明をじっくりと楽しみたい。文芸好きの夫婦なので、妻とは意見が完全に一致した。さくらにはペットホテルで我慢してもらうことにした。
まずは泊まっているホテルから松山城を見上げる城山公園を通り抜けて同ミュージアムへ。ラッキーなことに展示物の入れ替えのため、昨日までは閉館していたとのこと。今日から再スタートということでそれなりの人出だった。一つひとつの展示に添えられた説明書きを読むのが楽しい。
帰りは売店で『坂の上の雲』の第一巻を買った。司馬作品の長編は読んでいなかったが、物書きの端くれとしては読まないわけにはいかないだろう。第八巻まであるから、長い旅になる。楽しみでならないが、読みかけの本が終わってから集中的に読むことに決めた。
明治時代の若者たちが「なにをするにも東京だ」との思いを強くし、津々浦々から東京に集結していたことがわかる。まだ「国民」という概念がなかった日本人にとって、当時の日本に強く関わりたいという思いが強かったのだろう。加えて、貧困から脱却するためには勉強する以外にない。貧しかった日本の若者たちが勉強をしたいと願ったのは当然である。
ミュージアムの後は、すぐ近くにある愛松亭へ。夏目金之助先生が最初に英語教員として赴任した際に下宿された場所である。今はコーヒー店になっていて3匹の猫たちが迎えてくれる。彼の俳号である愚陀仏に由来する愚陀仏庵が今は駐車場になっていたのは残念であった。
昼食をとったあとは子規堂まで15分ほど歩いた。正岡子規といえば野球である。幼名の「のぼる」をもとに、baseballを「野球(野+ボール)」と名づけたのは中萬庚である。子規堂では伊予鉄道が寄贈した坊ちゃん列車に乗ることができた。
文系など役に立たない!文学部などには意味がない!文芸は入試から外してしまえ!
努力に即物的刹那的結果を求める人たちはそういうことを言うが、文芸も演劇も芸術もない世界がどれだけ生きにくいものかを考えていただきたい。逆にそういったものを愛でず、「~の方法」や「~大全」などを重宝してばかりいるから現代は不安と心配が跋扈しているのである。
私はこれからも文芸に足をどっぷりと突っ込んで生きていきたい。海外のにしても日本のにしても。
木村達哉
追記
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