3月21日。今日も教員引退報告が届いた。引退なのか逃亡なのかはわからないが、とにかく4月からは教員ではなく、別の仕事を選ぶことにしたというご連絡である。中にはそれなりの年齢になっている方もおられるが、多くは30代40代の先生方。職場ではようやく若手と呼ばれなくなってきた先生方である。
かく言う私も、いつだったか、50代に差し掛かった頃だったと思うけれども、娘から「よく続けられるなあ」と言われたことがある。こんな社会不適合者を放置しておいてくれるどころかカネをくれる職場は灘校以外に無いのだから感謝しないといけないよとは言ったけれども、教員以外からは「よく続けられるなあ」と言われる職業なのかもしれない。
私が中学生の頃は体罰も当たり前で、クラスメートたちが怖い先生方にばしばし叩かれていた。私はあまり叩かれた記憶が残っていないが、自習時間に巨大な声で「サンタルチア」を歌っていたのを社会科準備室にいた先生から咎められ、ご実家が散髪屋というその先生によって坊主にされるという罰を受けた。今なら大ニュースであろう。
母が帰宅して坊主頭になっている私を見て、思春期の女子生徒のごとく笑いが止まらなくなった。そして、散髪代が一回分浮いて助かったやないかと言ったのである。翌日はその先生にお世話になったのだからと、お土産まで持たせてくれた。社会科準備室にそれを持っていったところ、当該の先生から「お前はアホやが、お前の親は素晴らしい」と褒めていただいた。
体罰を認めろと言っているのではない。が、今は教員があまりにもこわごわ指導をしていると聞く。私が灘校を退職したときも、すでに当たり前だけれども体罰は厳禁。それでも叩く先生はおられたけれども、私の少年時代と比べれば体罰とも言えないようなものである。叩いた生徒の親が教員に感謝するという時代ではなく、むしろ教育委員会に怒鳴り込む親も多いのだろう。私立の場合、教育委員会に怒鳴り込んでも全く意味はないのだけれど。
やりがい搾取という言葉があるが、すでにやりがいさえも存在しなくなった職員室で溜息をつく教員は多いのだろう。それよりもっと多くのカネを受け取り、教育に携わり、やる気のある人たちを相手に働ける職場を選ぶ人が増えているのは当然である。教員は会社員と違い、土日に仕事が入っても代休や振休を月曜日にとるわけにはいかない。
日本の教育はどうなっていくのかなと思う。熱心な先生、真面目な先生はそれでもやはり多い。そういった先生方がちゃんと報われる教育界でなければならない。子ども中心、子どもファースト、子ども真ん中など、耳当たりの良い言葉が並ぶが、大人が犠牲になる「子ども中心」ではまったく意味がない。大人も子どもも真ん中がいい。
木村達哉
追記
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