BLOG / ブログ /

  1. HOME
  2. ブログ
  3. 教え子来宅

教え子来宅

2025.03.24(月) 11:30

3月24日。教員になったのは西大和学園で採用されたからである。当時の同校はおそらく生徒の偏差値が40台、それも前半ではなかったか。誰も現在の西大和学園を想像できなかっただろう。が、我々教員たちは、いつかは東大寺学園に追い付こう、否、追い越そうと努力していた。

ただ、若い教員が多く、その点で言えば情熱はあったのだけれど指導は粗かった。教えるのは下手だった。当時の生徒たちに会えるものならば謝りたい。よくこんな教員に文句も言わず、ついてきてくれたものだ。それでも1期生が東大に入り、2期生は二人が京大に合格し、5期生のときには東大と京大の合格者数が二桁になった。

メディアから依頼されて出演したことがある。「どうしてこんなに進学実績が上がったのですか」と聞かれ、わけもわからず「情熱です!」と答えた自分をぶん殴りたい。今から思えば噴飯ものだが、指導の粗さと下手くそさを凌駕するだけの情熱があったことのは確かである。

今日は西大和学園時代の教え子が拙宅に来てくれた。彼はちょくちょく連絡をくれ、顔を出してくれる。偏差値的にはかなり低かった時代の生徒だが、生真面目からは程遠い性格の持ち主でもあるが、今では立派にある企業の役員である。模試の偏差値と仕事の能力とは関係がないという例である。

こんなクリアファイルを作ってみましてんと言って持ってきてくれた。なかなか素晴らしいデザインではないか。せっかく作ってくれたのだ。講演で訪問する『ユメタン』採用校の生徒たちにプレゼントしてやろうと思い、5000部ほど作ってくれと頼んだ。教え子が作ってくれたクリアファイルを使うことになるとは、西大和学園時代には思いもよらなかった。

いろんな教え子がいる。せっかく東大やら京大やらに入ったのに残念なことになってしまった子もいる。すでにこの世にいない子も。学生時代に優秀だった生徒が幸せになっているわけではないのは世の常であるが、彼を見ているとやはりエネルギー量は大切だなと思わざるを得ない。

4月中にはできますからと言って帰っていった53歳の教え子を見て、なんとも言えない嬉しさでいっぱいになった。決して良い先生ではなかったが、こうして訪ねてきてくれるのはありがたいものだな。

木村達哉

追記
メールマガジン「KIMUTATSU JOURNAL」を火木土の週3通無料配信しています。読みたいという方はこちらからご登録ください。英語勉強法について、成績向上のメソッドについて、いろいろと書いています。家庭や学校、会社での会話や、学校や塾の先生方は授業での余談にお使いください。