3月30日。朝から寒風が吹きすさぶ博多。もうすぐ4月だというのにこの寒さはなんやねんと独り言ちながら、アパホテルから駅まで歩いた。週末ともなれば新幹線は昨日の行きもそうだったが満席で、EX予約をしておいてよかったと長い行列ができているみどりの窓口を横目で見ながら改札口をくぐった。
新幹線でうとうとしていると、今年度で退職される先生方からLINEやMessengerでご連絡をいただいた。まだ30代40代の先生方がお辞めになる。人生は自分だけのものなのに時間に流されてばかりいると、気が付いたら漂流していたということもある。このタイミングしかないなと思うのであれば一歩踏み出せばよろしい。
私は3回退職を経験した。最初はある会社を24歳で、その次は西大和学園を34歳で、そして灘校を57歳で去った。最初の会社はあまりに窮屈で続けられそうにないと思った。もっとテキトーな仕事に就いたほうがいいのではないかと思い、教員になった。西大和学園は借金が大きかったので、本当は辞めたくなかったが、副業ができる予備校や塾に移らないと死ぬと思って辞めた。灘はすでに何度も書いているとおりである。
辞めるのに勇気は要らなかったが、やはり真剣に人生を考えねばならなかった。このまま続けていると自分が駄目になるなと思ったら、動くほうがいい。出勤するのにわくわく感がなければ考え時で、きょうびそれなりに能力があれば生きていく程度にはお金がもらえる。英語ができる能力があれば日本では十分である。
ただ、こうして毎年毎年この時期に「教員はもう辞めます」というご連絡を賜ると、学校は大丈夫なのかなと思う。生徒数はどんどん減っていくし、なのに通信制の生徒数は右肩上がりである。海外に進む生徒たちもいる。生徒がいなくなり、教員もいなくなった学校には何が残るのだろう。
新神戸駅に着くまで、そんなことをぼんやり考えていた。私がが教室に入った瞬間「起立!」という号令がかかったあの学校の10年後はどうなっているのだろう。AIが登場して塾や予備校のニーズが薄くなったと言われるが、学校はどうなのだろう。廃校や合併が続いているが、少子化はまだ始まったばかりだというのに。
退職される先生方だって、教員になることが決まった何年も前、きっと心底嬉しかったはずだ。輝く未来が待っているのではないかと期待に胸を膨らませ、生徒たちの笑顔に包まれる自分を想像したのではないか。まさか教員になって10年や20年で教壇を去るとは思いもよらなかったはずである。
文科省には子どもを優遇するような、子どもを楽にするような、子ども中心の措置を講じてばかりいるのではなく、先生方がもっと働きたい、明日も出勤したいと思えるような学校作りを少し考えてもらいたい。
木村達哉
追記
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