4月26日。ある学校で講演していたときに、今日は芸人になり切れていないなと思い、軌道修正をしようとしたのだけれど上手くいかず、結局は素の自分のまま最後まで話すことになった。それでも講演自体は上手く進めることができたのだけれど、こちらの美意識としてはよろしくない。
「芸」という漢字は、植物を植えたり草を刈ったりという意味である。土に植えて育て、不要な草を摘む。植えてすぐに花が咲く植物など無く、時間がかかる。人や事業、あるいは文化などを育てる場合にも「芸」は使われる。話し方も教え方もなにもかもが「芸」で、したがってそれに携わる人は芸人である。芸人が素でいるのは楽屋だけである。
講演の舞台は自分が育ててきた植物を披露する場である。淡々と話しているようで、常に台本は存在する。話し方を含め、素の自分ではない。単に思いついたことを適当に話している人は芸人ではない。芸は極めて意識的で、人工的で、長期的で、したがって芸人には味がある。お笑い芸人でも味がないのは素人である。
先日、ある学校の講演は、疲れていたのもあってどうにもよくなかった。どこが駄目だったんだろうと思いながら帰宅し、次の講演に活かすことにした。講演慣れしてしまったのかな、リズムが素に近かったのかな、言葉遣いが駄目だったのかな、そんなことを考えながら、多くの芸人を見てきた永六輔の『芸人』を読み返した。
歌舞伎役者、歌手、コメディアン、俳優、司会者…これらはすべて芸人である。芸人を育てるのは客で、客のレベルが低く、見る目がないと芸人は育たない。ちっとも上手くない芸に拍手を送る客が多いと育たない。駄目なものは駄目と切り捨てることが大切である。これは学校の教師を生徒が厳しい目で見るのと同じ。
茨城と山形の講演ではその反省を活かし、それなりの芸を披露することができたように思う。追求すべきことはまだまだあるなと思いながら、レジュメを見返している。30日は昭和女子大附属中学校高等学校で5コマの講演である。体調を整え、育ててきた植物を披露し、聞いている生徒たちが新しい芽を吹く講演にしたい。
木村達哉
追記
メールマガジン「KIMUTATSU JOURNAL」を火木土の週3通無料配信しています。読みたいという方はこちらからご登録ください。英語勉強法について、成績向上のメソッドについて、いろいろと書いています。家庭や学校、会社での会話や、学校や塾の先生方は授業での余談にお使いください。