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命日

2021.05.15(土) 10:00

2001年5月15日は僕にとって忘れられない日となりました。57歳のときに背中が痛いと母が言い出しました。そして5年後の5月15日に亡くなりました。死因は肺がんでしたが、亡くなって解剖してから肺がんだとわかりました。死ぬまで呼吸ができず、喘ぎ苦しみました。最初にかかった医師と大喧嘩したのは僕です。「お母さん、何も食べないし、注射が嫌いだと言うので点滴もしていないんですよね」と言う医師に、「じゃあ、母はこの数週間まったく栄養を摂っていないということですか」と言うと、そうなりますねと。

「大丈夫なんでしょうか」と言うと「さぁ、なにせ注射嫌いですねんと仰るので」と医師が言ったので、おとな気なく喧嘩になりました。「転院するならしてもいいけど、受け入れ病院なんかないですよ。どこもいっぱいだからね」と言いやがったのですが、成人病センターに入院ができ、個室しかなかったので支払いは大変だったけど、ちゃんとした医療が受けられたのでよかったと思っています。

最期の3日間は壮絶のひと言でした。

呼吸ができず、人間はこんなにも苦しむのかというのを目の当たりにしました。母の最期が僕の生き方の教科書となりました。今際の際に残したのは「こんなに苦しいのならいっそ殺してくれ」でした。その直後に担当のお医者さんが強い薬を点滴に入れてくださり、そのまま眠りながら母は逝きました。

人間っていうのは自由なんですよね。自由に自分の人生を描けばいいのです。なのに、靴下工場で働き、医院で遅くまで働き、最終的には父の会社を手伝って、ずっと働き続けた母でした。自由な時間はほとんどない人生だったように思います。父は父で母を最期まで、否、死んだあとも愛し続け、自分が逝くまで「お母さんのところに行きたい」と言っていたものです。僕は静かに聞くしかなかったですけどね。

今日は母の命日です。お墓参りをする時間はあるかなぁ。どちらにしても仏壇に手を合わせ、まだまだそちらには行かないけど、僕はあなたのぶんまで自由に、そしてあなたのようにしっかりと、人生を生きますと言うつもりです。

木村達哉拝