小説の多くは(それが私小説であっても)フィクションです。でも、完全なる作り物のフィクションだと、まったくリアリティーに欠けていて、そうなるとまったく面白くありません。例えば、浅田次郎作品にはちゃきちゃきの江戸っ子が出てきます。これは浅田先生がまさにそういう人物なので、街の描写や人々の様子を小説に落とすのが、比較的楽ではないかと思われます。
学校ものの小説を読んでいて、あまりにもこれはなさ過ぎるというものがあります。小学校の先生が爆弾を作って生徒に復讐するという小説があります。確かに、日本語のレトリックその他は優れているのですが、われわれ教員が読むと、あまりにもあり得ないことの連続です。最後、きっとこの先生は爆弾を作って復讐するんだろうなと思ってページを開くと、やはり、予想した通りの展開でした。無いことの連続でした。火星の学校が舞台なのであればいいと思うのですが、そうでないなら白けてしまいます。
その点で、いくらフィクションとは言え、リアリティーってめちゃくちゃ大切なんです。中国を舞台にした大作を書いてやろうと思うのであれば、けっこうな期間、あるいは回数、中国に行かねばなりません。中国の歴史や文化、人々の価値観について、勉強しなければなりません。病院が舞台なのであれば、医師や看護師の実際について学ぶ必要があります。舞妓さんをヒロインにするなら、京都の置屋について学ばねばなりません。リアリティーがないと書けないのです。そのために大切な要素は3つのSです。
1つめが取材、2つめが取材、3つめが取材。
僕の『学校の神様』を読んだ方々から、ものすごくリアリティーがあって読みやすいと感想をいただいています。普段どういう音が聞こえるのか、校長室はどういう部屋なのか、そもそも教員ってどういうことを考えているのか、33年間も職員室という部屋にいましたから、人生が取材になっているんです。
でもね、逆に言えば、教員以外のことって書きにくいんですよ。1年だけ営業マンをやっていましたので、短編1つぐらいならぎりぎり書けるかもしれませんが、それにしたって担当をしていた阪神間のことしかわかりません。今回の小説の舞台は「西倭学園」という学校です。最終話に東京都の立川が出てくるのですが、それは書店さん営業をしてよく知っている場所だから書けたのです。
新型コロナウィルスが終息しないと、取材には出かけにくいです。ましてや海外には。
『学校の神様』の最終話を書きました。よかったらお読みください。こちらからお読みいただけます。いつものお願いですみません。ハートマークへのクリックと木村へのフォローをお願いします。いつもありがとうございます。
木村達哉拝