ブラック校則について、最近は議論されるようになってきました。良いことですね。以前、安田女子高校(広島)の生徒たちが校則を変えようとムーブメントを起こし、先生方が生徒たちの思いに応えて校則を変更したという記事を紹介させていただきました(その後、安田女子の先生方からお礼のLINEを頂戴しました)が、校則は生徒たちを不幸にするものであってはいけません。むしろ、生徒たちが生活しやすいようにするためのものでなければならないと思う僕は甘いのでしょうか。
たとえば、ツーブロック。
ツーブロックの髪型だと、不良に絡まれるから良くないという学校があるそうです。しかし、最近では企業の営業マンでさえもツーブロックにしていますし、どう考えても長髪などと比較すれば爽やかだと思うんですね。もちろんあくまでも個人の感想なんですけど。
でも、ちょっと待てよ。ツーブロックが良くないってのも、個人の感想じゃないですかね。たとえば生徒指導部長がえらい頭の固い人で、ツーブロックなんかあかん!という鶴の一声で認められない、というようなことは学校ではよくあるんですよ。声の大きい先生の意見がそのまま校則になるというようなことが、です。
ちなみに僕の髪型もツーブロックですが、これって不良に絡まれます? あり得ないですよね。むしろ、短髪なので夏らしいし、爽やかとは自分では言えないですけど、それなりだと思うんですよ。むしろ朝に櫛も入っていないようなぼさぼさの頭に比べれば、相当社会性が高いと言える、と思うのですが。
もちろん「ツーブロックを認めない」程度のルールがブラックかと言われると、僕は違うと思います。ブラックというのは、靴下は純白のものでワンポイントも認めない!というような馬鹿なものを呼ぶのであって、ツーブロックが駄目というのは単に時代遅れだということです。
校則が変だなと思うのであれば、生徒会を中心にして生徒たち自身が声を上げることですね。教員が声を上げることなどあり得ないですから。然るべき理由を掲げて、先生方と意見を闘わせるプロセスを経て、校則なり制服なりは変わっていくものです。たとえば、灘校も最初から無校則・無制服ではなかったのです。
ただし、もしも校則を変えて、もっと自由にと言うのであれば、生徒たちはしっかりとした生活を送らねばなりません。自由度を認めてくれと言って校則を変えたら、生徒たちがだらだらし始めたとか、遅刻が増えたとか、常識の範囲を逸脱したとかいったようなことがあると、またぞろ元通りになってしまいます。自由というのは常に自律が伴うのですから、議論して認められ、自由度が高くなったのであれば、先生方に言われなくても自らを律する姿勢でいなければなりません。
木村達哉拝