なんだか最近はいろんなニュースがネガティブなものばかりで嫌になりますね。スマホをターンノフして、Yahoo!のニュースを見れなくしたいぐらい。「都立学校において(中略)修学旅行については中止または延期することといたしております」と「東京パラリンピックで子どもたちが選手の姿を見ることを、より安心安全な形でできるように準備を進めてまいります」とが同一人物による発言なんですよ?
僕は都民ではありませんので、都民の皆さんが選ばれた方にとやかく言うものでもないのですが。それにしても酷いですね。<選挙で勝つ=なんでもできる>という状況で、しかも投票率が低いので、政治家からすれば「馬鹿な国民でよかった」と感じていると思うんですけどね。実際、それに近いことを思っている政治家が多いことを、ある自民党の政治家から伺ったのですが。
その点でいつも申し上げているとおり、政治家を批判するより前に、投票に行かない人を批判しなければ何も始まらないです。投票に行かなかったんだと言われてへらへら笑っているような人間にはなりたくありません。僕はいくら親しい人であっても、もし投票に行かなかったと言えば、本人に批判することでしょう。国が良くならないですから。ノンポリな僕でさえもそう思います。
パラリンピックに関して思うのは2点。1つめは、こういう難しい判断で子どもを出しに使うのは卑怯だなぁということ。なんだかんだで大人はよく「子どものために」などと、子どもを出しに使います。確かにパラリンピックを観戦することはひとつの教育のスタイルです。しかし、同時に外科手術の様子を見学させてもらうのも教育ですし、殺人犯の裁判を見学させてもらうのも教育です。なにもかも「機会を与える」というのは教育になるのです。
パラリンピックという障がい者によるスポーツ大会と子どもをうまくミックスさせて、いかにもパンデミック下で観戦させることが素晴らしいことなのだという判断を、なぜか教育者ではなく政治家が行っているのが卑怯だなと思います。
それともう1つは、なんだかんだ言って参加するかしないかはその子どもの保護者がしっかりと判断することだなぁということ。この観戦で感染が拡がると、政治家たちは「自分のせいではない」「パラリンピックのせいではない」と言います。オリンピックで感染拡大しましたが、政治家たちはいまだにオリンピックで感染したわけではないと詭弁を弄しています。
実際のところ、参加者は自発的に参加する形になっています。強制はしていないのが事実です。僕が親なら「ウィルスを持ち帰ってほしくないので、観戦しないでほしい」と自分の子どもに言うでしょう。泣こうがわめこうが、命あっての物種ですから、現在の病院の状況を噛んで含めて説明し、参加させないと思います。そしてそれを理解させることも、歴とした教育です。そんなことを考えながら、小池さんや橋本さんのニュースを見ておりました。分断してしまったこの国は、これからどうなるんでしょうね。
木村達哉拝