福島から帰って参りました。福島南高校さんの講演が終わった後、せっかくなので晩ご飯を食べましょうと知った先生方が誘ってくださいましてね。感染対策を思い切りしながら、ご一緒させていただきました。こういうのは本当にありがたいです。初日は独りで駅の中にある回転寿司店に入りましたが(そしてそれはそれで美味かったけど)昨日は楽しいひと時でした。さすがにこの状況なので、わいわい語らいながらという感じではなかったですけれども。
今回は灘校で一緒に66回生を教えた前川直哉先生とは会えなかったのですが、それでも震災後に50回ほど足を運んでおりますので、浜通りにも中通りにも会津にも知り合い(なかには友達と呼ばせていただいてもいいのではないかと思われる知り合い)がたくさん待っていてくれます。ちょっくら福島に行くかなとLINEなりMessengerなりを送ると、相馬に来るのか?福島か?それとも会津か?という返事が届きます。沖縄にも広島にもそういう知り合いがたくさんできました。
年齢を経ると、徐々に友達は減ってくるものです。こういったご時世ですので、SNSの「友達」はたくさんいます。Facebookの「友達」は2000人以上、メルマガを登録してくださっている方は7000名以上、いらっしゃいます。しかし、リアルに僕を待ってくれている人たちが、こうして日本中にいてくれるのは、なによりも幸せなことですね。
伊丹空港に戻る飛行機の中で、雲を見ながら思い出したのです。灘校を辞める前に考えていたことをです。そうだ、灘校を辞めたら自由になるのだから、日本中の知り合いに会いながら、旅をしながら生きるのもいいよなぁって。人に会いながら絵を描いたり文章を書いたりして、旅先作家として生きるのって最高にいい人生だよなぁって思っていたのを忘れていたのです。理由は新型コロナウイルスの蔓延です。
ですから、このコロナ禍を通り抜けたら、鞄にスケッチブックと色鉛筆およびパソコンを入れて、いろんな人たちに会いながら生きようと思います。さくらが泊まれる宿を探さないといけません。いろんなところを見ながら生きます。海外も含めて。早くそういうときが来ればいいですね。ニュースではまだまだ感染者数が増加傾向にありますからずいぶん先の話になりそうですが、そういう生活を楽しみにしています。
木村達哉拝