今日はあべのハルカスに行ってきたんです。初めて入りました、ハルカス。完成したときにはかなり話題になっていたのですが、あまりそういう目新しい場所、人がたくさんいる場所、話題になっているような場所が苦手な性質ですので、地上300メートル!とか日本一高いビル!とか言われても足が向かなかったんですよ。
なのにどうして行ってきたの?というと、あべのハルカス美術館でポーラ美術館コレクション展をやっているんです。それが5日までなものですから、そして5日は教え子の前田智大とのイベントで東京に行くものですからね。今日ハルカス、というより美術館に行ってきたのです。かなり空いていて、ゆっくりとモネ、ルノワール、クロス、シャガール、ピカソなどの絵画を楽しんできました。
僕はまだ1冊の絵本も出していないので、絵本作家ですと名乗ることができません。早くその日が来ればいいなぁと思いながら、今は時間の許す限りではありますが、絵を描いています。こういう「絵を描く」という作業、あるいは「文章を書く」という作業を、アウトプットと呼びます。ブログやメルマガやFacebookに文章を書くのも、すべてアウトプットです。誰でも気軽に書くことができる文章ですが、それなりのインプット量がないと、書いた文章は「話すように書かれた文章」になります。それなりには読みやすいのですが、文章としてのクオリティーはそれほど高くありません。
一方、インプットを重ねた人の文章は、読んでいて味があります。クオリティーが高いかどうかは読む人が決めることですし、そもそも読み手のクオリティーが高くないと、どういう文章が味のある文章なのか、品格のある文章なのか、普通はわからないはずです。幸田文の文章には品格があるねと言われて読んだとしても、どこがその品格なのかわからないのです。
その点で、修行中の僕にとっては今日は非常に有意義な経験となりました。絵を描くというアウトプット経験のためにインプットの機会をもっと増やしていかなければ、どういう絵がクオリティーの高い絵なのか、そしてどういうふうに自分は描かねばならないのかがわからないのですね。ルノワールの「レースの帽子の少女」だけは写真に撮ってもいいですよと美術館の受付で言われましたが、撮らずに帰ってきました。1枚1枚の絵を脳に焼き付けたかったからです。写真を撮ってSNSにアップしても、僕にとっては意味のない行為ですからね。
絵の構図などはネットで写真検索すれば見ることができます。でも、実際の絵から発せられる息吹だけは、実物を見ないとわからないのです。どうしてここの筆はこういうタッチにしたんだろう。どうしてこの女性の首の部分だけは青色を混ぜたんだろう。どうしてこの木の幹は1本だけ黄色を少しだけ混ぜたんだろう。どうしてこの時代にこういう絵を描いたんだろう。そういったことは実物を間近で見ないとわからないのです。
いいインプットになりました。
木村達哉拝