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道草

2021.09.25(土) 09:10

総社高校さんのオンライン講演が終わって、オリックス劇場に向かいました。スターダスト★レビューのライブを観るためです。相変わらずのクオリティーで、アドレナリンがぶりぶりに噴出しておりました。スタレビおよびスタッフの方々は感染症対策でかなり気を遣ったでしょうけど、いいステージをありがとうございました(って、僕のブログなんか見てないだろうけど)。

今日は西宮市大谷記念美術館に行って、イタリア・ボローニャ国際絵本原画展を見てきました。いやぁ、日本を含むいろんな国の絵本作家たちによる原画を見て、大きいインスピレーションが働きました。そうか、なるほどな、こういう表現もあるのか等々。

音楽にしても絵にしても、左脳ではなくて右脳で受け止めることになります。特に演奏しているとき、絵を描いているときは、明らかに文章を書いているときとは違う脳の部位が作用していることがわかります。簡単に言うなれば、論理が支配するのか、それとも感性なのかということなんでしょうけれども。

スタレビにしても原画展にしても、普段どうしても左脳を使って生活することが多いので、その点では非常にいい経験になります。言語化するよりも、音や絵をシャワーのお湯を浴びるかのようにあるがままに受け入れます。会場を出るときには、明らかに入る前の自分とは感性が違っているのを感じます。僕たちはそういうものを経験したくてライブや美術館に行くんじゃないでしょうか。

その点で言えば、子どもたちは学校と自宅の往復しかしていなかったり、あるいはコロナ禍で家にいなければならなかったりすると、あまり刺激のない生活になりますね。学校と自宅の往復(+塾や予備校程度)だけでは、自分のやりたいこと、人生で打ち込みたいものが、授業や部活の中からしか見えてこないんですよね。大人がモデルになればいいけど、親と教師しかモデルがいない場合、親の職業や教職ぐらいしか未来の自分の選択肢に挙がってこないかもしれません。

そうすると、普通に大学に行って普通に就活して普通にサラリーマンをしてという人生しか見えなかったりするのですよね。音楽家や画家やスポーツ選手があたかも特別な存在であるかのように思えたりね。就職しないで大学にい続けているうちに、働きもせずに何やってんだろと思うこともあるかもしれませんね。でもそうやってだらだらと生きたっていいんです。生き急ぐ必要なんてない。

僕は、子どもたちはもっと道草をしていいと思っています。不良になれという意味ではなく、学校と自宅の往復しかしないようなつまらない人間であってはなりません。いろんな場所に出かけていって、いろんな人に会って、いろんな経験をするなかから、自分が本当にやりたいことが見えてくるのです。そりゃ危険な経験は避けたほうがいいだろうけど、せめて中学生や高校生になったんだったら、いつまでも親にくっついていないで、旅行に独りで、あるいは友達と二人で、行ったことのない場所に行くとか、コンサートや芸術関係のイベントに参加したりするのもいいんじゃないでしょうか。そしてそれをそそのかすのも学校の教員の仕事だと、僕は思っています。

木村達哉拝