教員になったときのこと、つまり西大和学園時代のことです。4月の職員室が僕にとっては新鮮で、高3の島にある自分のデスクに胸を躍らせていました。教員になったんだなぁ、ようやくスタートラインに立ったなぁ、いい先生にならないとなぁ、などと考えていました。体育の先生(生徒指導部長)の「進学実績を出さないと倒産するでぇ」という声がまた新鮮で、公立とは違う緊張感があるんだなと気を引き締めたものです。
これからの授業時間割が配付され、学年の会議を開くことになりました。そこで放課後の補習について話し合いました。月曜日は数学と英語、火曜日は物理と日本史、水曜日は、といった具合です。高校時代には補習がなかったので、現在はこういう形で放課後も授業をするということを知りました。そこから10年間は何も考えず、授業と補習という名前の放課後授業に勤しみました。強制である以上、それは生徒にとっては授業です。補習ではありません。
灘校に移りまして、環境は一変しました。生徒たちが「ちょっと英文法の時制がわからないので補習をしてもらえませんか」や「リスニングの補習をしませんか」などと言ってきます。職員会議や学年会議で補習が話題になることはありません。当時、同じ学年におられた数学の先輩に補習の件を尋ねますと、必要に応じてやればいいけど、最初から補習をすることを前提とした授業をするのは教育者として間違っていると言われました。まずは授業で勝負せよと。
時代が進みまして、日本中で補習を行うようになりました。それは西大和学園をはじめとして、放課後に補習をする学校の進学実績が上がったからでしょうね。どこも補習をするようになると、補習をしているから実績が上がっているわけではないことがわかってきました。補習をしていても実績がまったく上がっていない学校のほうが多いからです。
ところがです。補習をしていても実績がまったく上がっていないのに、学校というところは基本的に保守的というより現状維持推進的なので、いったん始めたものを止めるのが難しい場所です。したがって、現在も補習をしている学校が非常に多く、多忙な教員は自分で自分の首を絞めることになり、さらに多忙化しました。また、補習に対して手当てが支払われるので、補習をやめることができないという先生もたくさんいらっしゃることを知りました。補習を止めると、残業手当てがなくなったサラリーマン同様、支払いが減るというのです。なんのための補習なのかわからなくなってきました。補習を否定しているのではないので誤解のないよう。
成績が上がるのは、教員が成績の上げ方を知っているからです。補習をするからではありません。成績の上げ方も知らず、機械的に補習をしたところで成績は上がらないし、学校の進学実績も上がりません。いろんな学校で成績の上げ方や実績の出し方を説明してほしいと言われ、それなりの学校で話してきました。補習が悪いわけではありません。そうじゃなくて、成績の出し方も知らずに補習をしても意味がないと言っているのです。
動画でいろいろ話しました。動画はこちらです。
木村達哉拝