沖縄で塾を経営しておられる方からメールをいただきました。なかなかやる気になれない、勉強する気持ちが希薄な子どもに対してどう接すればいいのでしょうねというような内容でした。少し考えました。僕自身はどうだったんだろうと。
僕が本当にしっかりと勉強し始めたと言えるのは、おそらく社会人になってからですね。浪人時代はかなり勉強していましたが、単に受験のために勉強していただけで、勉強したくてして学んでいたのかと問われると、少し違うように思います。その証拠に、自分をかなり追い込んで勉強していたのですが、合格が決まった瞬間から勉強しなくなってしまいました。
それでは合格までの人、ということになります。それでは成長し続けることはなく、むしろどんどん堕ちていきます。実際、そうでした。大学に入ってからは自堕落な生活を送り、まったく学びとは無縁の生活をしていました。幸いにして本を読むことだけは大好きで、ひとりの下宿でのんびりと読書をしていたので、それなりの知性は保てたかもしれませんけれども。
話を戻しますが、その塾に通っている子どもたちも、できることならば遊んでいたいんでしょうね。だって、そのほうが楽しいですから。でも、あるときに気づくんでしょう。このまま遊んでいると、人生がどえらいことになってしまうということに、です。
であれば、まずは大人が学ぶ理由について教えてやったほうがいいんじゃないかなと思っています。灘校時代は生徒たちに、勉強するとどういう良いことがあるのかについて、お金(生涯賃金)を絡めた形で話しておりました。今回の動画では、そういう話をしていますので、興味がある方はどうぞご覧ください(こちらです)。
特に今はスマホとかゲームとかが一般的になってしまい、中学生でも自分のものを持っていますからね。本来的には中学生には早いと思うのですが、持たせる親が多数派になってしまうと持たせない親と子どもが肩身の狭い思いをすることになります。でも、そういったものを持たせるのであれば、つまりいつでも遊べる環境を親自身が作ってしまうのであれば、子どもに対して「勉強しないとどうなるか」ということを教えてやらないといけないと思います。
単に「勉強しなさい」とか「本を読みなさい」と言ったところで、勉強したくない子どもは学びません。理由や意義を筋道たてて教えることこそ、大人の仕事なんじゃないかなぁと思います。僕の動画がお役に立てば嬉しく思います。
木村達哉拝