庭の梅が咲きました。ピンク色が空に映えて美しい。春になると桜が大きい話題になりますし、確かに梶井基次郎が言ったように「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」のかもしれません。そうでなければあんなに絢爛豪華な枝ぶり、花つきにはならないようにも思います。しかし、僕は桜を先導して春の訪れを伝える梅が好きです。
二階のベランダから見て右側が梅、左側が桜なんです。桜はソメイヨシノではないので、おそらく来週ぐらいには咲くのではないかと思われます。梅と桜が共演してくれれば庭で飲む酒もより旨いんでしょうが、桜が咲く頃には、すでに梅は落ちているのです。そして梅の花が落ちると、今度は梅の実が楽しみになります。アブラムシには申し訳ないのですが、彼らが梅につかないように、できるだけ自然な成分の虫よけスプレーを枝にかけることになります。
自然ってのは実に素晴らしい。そして僕たちも自然の一部です。できるだけストレスのないよう、人間らしく生きたいものです。ただ、僕たちも自然の一部のはずなのですが、営みを見ているとどうも自然なようには思えません。満員電車に揺られ、人間同士傷つけあって悩み(国によっては殺し合い)、人工的なものを食べ、薬を飲んでばかりいます。
動物や虫や花木たちは、僕たち人間を見て、なんて臭くて汚い生き物なんだろう、なんて不自然な生き物なんだろう、どうして傷つけあったり殺し合ったりするんだろう、どうして?どうして?と思っているかもしれませんね。僕はしがない物書きですが、自分の作品のなかで自分のメッセージを伝え続けたいなと思っています。
木村達哉拝