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あのとき、もしも

2022.05.11(水) 05:00

野田学園さんを訪問したことは書きましたが、その際に生徒たちから質問を受けたのです。でも、講演時間が予定より少しだけ延びてしまって、質問に答えることができませんでした。いくつかの質問のなかに「キムタツ先生は高校時代にどういうふうに英語の勉強をして成績を伸ばしたのですか」というものがありましたので、それにキムタツチャンネルで回答しました。こちらです

僕は高校時代、ほとんど勉強しない生徒でしてね。中3の担任の先生が「君は文章を書いて生きていけば、きっと成功する」と声をかけてくださったんです。人生、どうやって生きていけばいいのかわからない貧しい少年にとっては、一条の光となりました。そして、物書きになろうと思いました。

でも、物書きになるためにどうすればいいのかわかりません。今のようにYahoo知恵袋があるわけでもありません。誰に相談していいのかもわからないので、とりあえずひたすら本を読むことに決めました。作家といってもいろんな作家さんがいらっしゃいます。僕は、絵本にしても小説にしても、あまりジャンルにこだわらない作家になろうと思いました。

高校に入って、本は読み続けていたものの、勉強に対する興味を失いました。数学も理科もそれなりに嫌いではなかったのに、勉強しなくなると駄目ですね。学校に行くのも嫌で、年間70日ぐらい欠席しました。当時は不登校という単語がなかったので助かりました。今なら「不登校生徒」というレッテルを身体中に貼られていたように思います。

高2の秋、祖母が他界しました。それがきっかけとなりました。初めて人が死ぬという場面を目の当たりにし、周囲が祖母の人生を要約するのを耳にするにつけ、自分が死んだらどう要約してもらえるんだろうと考えました。そして、このままでは阿呆のまま死ぬことになると少し焦りました。翌日からは欠席しなくなりました。そして「勉強」というものであったかどうかはわからないのですが、とにかく英語の勉強を始めました。

あとは動画をご覧ください。特別なことを話しているわけではありませんが。
あのときにもし祖母が亡くなっていなかったら、僕は駄目なまま人生を送っていたかもしれません。勉強してよかったなと思うと同時に、あと半年の命と医師に言われた祖母が5年も生きながらえ、あのタイミングで虹を渡ったのは、もしかしたら目に見えない力が働いていたのかもしれません。89冊の本を出した現在になって当時を振り返り、冴えない僕に手を差し伸べて下さった神様に、そして祖母に、感謝しています。

木村達哉拝