僕は宜野湾市にいて、隣に普天間飛行場があります。それほど大きくはないので戦闘機の離発着はできない飛行場です。ヘリコプターとオスプレイ専用の飛行場だと認識しています。低音のブロロロロロが響いてきたら、飛んできたんだなぁと思って空を見上げます。嘉手納基地のキーーーン!という耳をつんざく音とは異質ですが、それなりに不快です。
今日は沖縄本土復帰50年の節目です。宜野湾市の海側にあるコンベンションセンターでは記念式典が行われています。首相や知事などのエライ方々が参列しているそうです。昨日から入れないので、さくらの散歩がそこではできません。普天間飛行場からは街宣車の叫び声が一日中聞こえています。右の人たちも左の人たちも叫んでいます。
分断。
米軍施設が県内30カ所以上にあります。嘉手納基地以南の施設は順次返還されることになりそうですが、完全に返還なのか、それとも移設なのかによって、沖縄の状況は違ったものになります。移設にしても県内なのか県外なのか国外なのかにもよりますね。自衛隊が定員に達していない日本の状況ですので、国外というのも難しいように思われます。こうしていろんなことを考えた一日でした。
今日は母の命日でもありました。一生懸命に僕を育ててくれた母ですので、基地問題以上に今日は母のことを考えて過ごしました。高校を出て生命保険会社に就職して父と出会い、そして僕を産んでくれました。父が仕事を転々とする人だったので、うちはほんまに苦労したわとよく聞かされました。挙句の果てに作った小さい会社を倒産させ、1億9000万円の借金を背負うのですからしょうがない父です。
が、貧しいながらも、今から思えばですが、楽しい少年時代だったなぁと思っています。絵や書道やそろばんを習わせてくれました。大阪万博に連れていってもらったのも、かなり暑くて参りましたが、いい思い出です。伊勢や鳥取に泳ぎに行ったり、ぜんまいやわらびを採りに行ったり、いろんな経験をさせてくれました。
なにより、本は遠慮なく買えと言ってくれたのは、今の自分の礎になっています。誕生日は何が欲しいかと問われて、少年少女全集50巻がほしいと答えたとき、母は本当に戸惑っていました。本を読みたい我が子に何万円もする全集を買い与えることは難しいと思ったんでしょうね。でもね、買ってくれたんですよ。第1巻は『十五少年漂流記』でした。
今日はお墓参りもできませんでしたが、一日中彼女のことを思いながら過ごしていました。テレビからは式典の様子が流れていましたけれども、井上陽水の「傘がない」ではありませんが、今日の僕には彼女との思い出のほうが大事かもしれないなぁと思いながら過ごしていました。
あまり親孝行もできないまま彼女を見送ることになりましたが、僕は彼女のぶんまで長く生きようと思っています。単に長く生きるだけではつまらないので、人々と酒を飲みながら話をするのが大好きだった彼女に倣って、世界中を歩きながら、人と話しながら、笑顔で生きようと思っています。
木村達哉拝