あちこちの学校や塾で講演をさせていただく機会が多くなっていますが、最近は「勉強がつまらないという人は手を上げてください」ということにしています。すると会場にいる人たちの大半が手を上げます。「好きな人は?」と聞くと、そうですねぇ、数名でしょうか、いらっしゃいます。
勉強が好きだという人だって、じゃあ奈良県の歴史の勉強をしてくださいと言われると、いやいや、奈良の歴史?キムタツさんの生まれ故郷ですよね。うーん、でもそれは興味ないですとおっしゃることになるんでしょう。つまりどんな勉強でも好きだというわけではなく、自分がやりたい勉強については好きで、日常的にやっていますということなんでしょう。
かく言う僕は、英語の勉強は好きですが、苦しいことばかりです。勉強すればするほど、自分が無知であることを思い知らされるからです。ゴルフの勉強も好きです。最近はようやく勉強の甲斐あって、2ラウンド連続で90を出すことができました。しかし、もしも勉強を強制されれば、つまり毎日素振りを必ず100回やりなさいとか命令されれば、きっと嫌になるでしょう。
自分の成長とか将来とかを見据えた勉強は面白いと思います。しかし、将来を見ず、さらには強制されている勉強は面白くないので、きっと長続きしないんじゃないでしょうか。こちらのコラムにも書きましたけれども、面白くないものには面白くないなりの理由があるんです。
学校にしても保護者にしても、そこのところを子どもたちに考えさせる機会を与えないと、なんで英語を勉強するんだろ、なんで数学をやらないといけないんだろ、なんで漢文なんてものがあるんだろ、きっと文科省に強制されているんだ、という正解にたどり着き、なんだかつまらない気分になるんじゃないでしょうか。
今週は沖縄の塾で、そして琉球新報社で、それぞれ講演やトークショーを行います。きっと大人に混じって子どもたちも参加してくれるはずですので、勉強する前に先ずは人生を考えてみようよと言うつもりでおります。どういう仕事に就くのかは別に後からでもいいのですが、少なくとも人生の漠然とした方向性ぐらいは自分の責任で考えるべきだと思っています。
木村達哉拝