娘とは大の仲良しでしてね。二人で沖縄旅行したり、近くのショッピングモールに買い物に出かけたりしました。特に反抗された記憶もありません。彼女が中学入学後に吹奏楽部に入りましてね。何年生のときでしたか、甲子園の入場行進で、どういうわけだか彼女がバスクラリネット奏者に選ばれたんですよ。
「なんでお前やねん」「知らんがな」という会話を交わしたのを覚えています。当日は一塁側スタンドから、豆粒ほどの大きさの彼女を見続けていたのを懐かしく思い出しています。「甲子園の土を持って帰ってくれ」「怒られるやろ」という会話が直前に交わされました。
成績は、どうせ僕の娘ですから、悪いに決まっています。通知簿も模試成績も、中高6年間を通じて見たことはありません。ただただ「自由に生きなさい」と言い続けました。
(沖縄に鯨ウォッチングに二人で行ったときの写真)
今朝、彼女からLINEがありましてね。「生まれた」とのことでした。彼女は母になり、自動的に僕はおじいちゃんになりました。900人もの方々からFacebookに「いいね」を、200人以上の方々から「おめでとう!」というコメントを、頂戴しています。ありがとうございます。
孫に会いたいでしょとよく言われるのですが、娘が大好きな僕としてはむしろ彼女に会いたいです。また、最近は「じいじ」と呼ぶのが流行しているそうですが、僕と娘は流行に敏くなく、加えて私たちのActive Vocabularyリストにその語が存在しないので、子ども時代からそれぞれの祖父をそう呼んでいたとおり、「おじいちゃん」が使用語彙となりそうです。
Facebookには「キムじい」とか「タツじい」とか僕を呼ぶケシカラン人たちがコメントをくれているのですが、とりあえずは体調が元に戻ったら、彼女が住む広島に向けて乾杯のグラスを掲げようと思っております。娘には、僕のところに生まれてきてくれてありがとうと、面と向かってはさすがに恥ずかしいので、その乾杯のときに心の中で言うことにします。
木村達哉拝