灘校時代の同僚で、東日本大震災をきっかけに退職して福島県に移住した前川直哉先生(現在は福島大学准教授)が、久しぶりに原発あたりを見てまわりませんかと声をかけてくれましてね。おぉ、じゃあ頼むわ!という流れになりました。
一回行ったことがあるという人は多いと思うのですが、その後はどうなっているのかわからないというケースも多いんじゃないでしょうか。浪江町などは住めるようになりましたし、双葉駅が使えるようになりました(つまりいわきと仙台は完全に鉄道が開通しました)が、まぁ現地で見てみればわかりますけど住めたもんじゃありません。
家はあります。が、町がありません。町がなければ住めません。スーパーはないし、医院はないし、なんにもありません。家だけがあっても住めないのです。その家も崩れかかっているし。
請戸小学校が震災遺構になっていますので、皆さんも行ってみてください。海から極めて近い小学校で、まともに津波をかぶった小学校です。奇跡的に犠牲者が出なかったのは、先生方が素晴らしかったからです。
日本人あるあるの「ちょっと様子を見よう」なんて言っていたら児童たちも先生方もみんな波に流されていたことでしょう。当時は住宅地がありましたが、現在は一軒もありません。動画で撮影してきましたので、実感したい方はこちらをご覧ください。
浪江町から双葉町あたりを見てまわりましたが、この写真は東日本大震災・原子力災害伝承館です。請戸小学校からすぐ近くですから、セットで見られればいかがでしょうか? たくさんの動画や資料があって、当時の様子が体感できます。
現地に行かないとなんにもわからないんです。ネットで見たってなんにもわかりません。わかった気になっているだけです。時間のあるときに、一度福島の浪江町から双葉町に来てください。
どこに行ったらいいんだろうという方もいらっしゃるはずです。どこかでレンタカーを借りるのが一番いいんじゃないかなぁ。仙台空港から車で動いても、小一時間もあれば到着しますからね。
朝から夕方まで前川先生にはお世話になりました。今度は知り合いの先生方を連れて、僕が案内をしてまわろうと思っています。仙台空港で集合し、わいわい言いながら福島を見てまわるのもいいんじゃないかと思いながら帰ってまいりました。参加したいぞという方、いらっしゃいましたらその折にはよろしくお願いします。
木村達哉拝