一般的に言えば、教養のある人というのはそれなりの読書量を誇ります。逆に言えば、ネットで検索しながら半身になってニヤニヤ笑いながらエラそうに話す人っていうのは(ネットってのは玉石混交ならぬ石石混交なので)嘘ばかりつくことになります。一見すると教養がありそうに思えますが、ちょっとでも知識のある人がそういう人の話を聞くと噴飯ものです。
なんのために本を読むのか。3つの目的があるのではないでしょうか。1つは情報を得るためです。ノンフィクションの本を読み、震災後の福島がどうなっているのかを知ったり、22世紀の日本がどう変容するのかを考えたりするために本を読む人は多いように思います。
2つめは日本語の表現力を高めるためです。特に小説の場合、日本語表現が高い作家が書いた作品は、自分が文章を書く際に使える表現の宝箱です。僕の場合、浅田先生や遠藤先生の文章を読んで、自分には書けそうもない表現に出会うと、ノートに抜き書きして覚えますが、そうすることで日本語の力が上がっていきます。
3つめの目的としては、楽しむために読むということが挙げられます。時間つぶしをするのもこれに含めるとしましょう。待ち合わせを書店にする人が多かった昭和時代、手に取った小説をレジに持っていく人の列をよく目にしたものです。
ところがネットの登場後、読書が持つ3つめの役割がほとんど消えてしまったんです。時間消費のための読書が消え、多くの人はスマホに目を落とすようになりました。そうするとそれが習慣化し、1つめの読書も2つめの読書もどんどんスマホに取って代わられていきました。
そうすると自動的に考える力が落ちます。スマホでも考える力が養われるだろうと思う人もいらっしゃいますが、なんの調査結果もソースもない、無責任に書き込まれた文章が土台になっている思考ほど危険なものはありません。コメント欄を読んで、共感や反感を持ったりする「思考」を思考とは呼びません。
動画でお勧めの本を紹介しました。すでに死語となってしまった「読書の秋」を楽しめることさえ日本人にはできなくなってしまったのでしょうか。ひとりでも多くの方が、もういちど読書家になってみようと思ってくださればいいなと思い、僕の読んだ本のなかからかなりお勧めできるものを選んでみました。よかったらご覧いただき、ご自身の読書活動にお役立てください。動画はこちらです。
木村達哉拝