今日は信州大学の先生が主宰する哲学セミナーがオンラインでありましたので、申し込みをして参加しました。「緊張とは何か」というコンテンツでしたが、存在論、認識論、価値論の3点から緊張について考える機会となりました。
ラジオ番組(キムタツ✕ひーぷーのオキナワ・ジモトーク)が9月に始まりまして、それまで知り合えなかった方々にお会いできるようになりました。また、以前からセミナーや講演を依頼されては行っていますが、初めての方々の前で話す機会が増えました。
緊張しないんですかと尋ねられますが、正直まったく緊張しません。何千人が目の前にいらっしゃっても、まったく緊張しませんし、普段どおりに話をすることができます。
それよりゴルフの第1ホールのドライバーが何より緊張します。しょっちゅう練習してはいるのですが、第1ホールの第1打はかなり緊張します。ドライバーじゃなくて、パターで打ちたくなります。そうしたらきっとミスしないでしょうから。
あれ? ということは「ミスしたくない」「ミスするんじゃないか」という気持ちが緊張を生むんでしょうかね。セミナーや講演の場合、あまりミスするイメージがありません。なぜでしょう。おそらくかなりの準備をするからでしょう。セミナー前にはひたすらシミュレーションを行い、自室で何度もひとりで話しますからね。
なんてふうに考えていくと、緊張ってのはこういうケースで感じるものなんだなということがわかっています。そうすると、緊張に対する備えもし易くなります。
が、そもそも緊張って悪いものなんでしょうか。緊張が悪いものなら備えればいいのですが、悪いものではないのであれば備える必要はないはずです。そこはどうなんでしょうか。
なんてことを考える機会となりました。申し込んでよかったです。高校時代から哲学や心理学が好きで、ニーチェやらヘーゲルやらを読んでいましたけれども(そして難しい表現に出会っては哲学用のノートに書きなぐっていましたが)今日は久しぶりに多くの方々の哲学(=考え)に出会うことができました。いい土曜日になりました。
木村達哉拝