三重県の皿屋先生から柿を送っていただきました。毎年この時期になると送ってくださるんです。なんだか申し訳ないなぁと思ってお返しをするのですが、お返しは僕のサイン本なのですよ。要らねぇって思われているかもしれませんが、それぐらいしか思いつかないものですから。
また、セミナーで各地に参りますと、参加者の皆さんがお土産をくださるんです。先日の東京では、山梨の久保寺先生が信玄餅をくださいました。きな粉に埋もれた餅に甘い蜜を垂らして口の中に放り込んだのですが、おぉ!これは美味い!と・・・気がついたら全部が胃の中に消えていました。
さくらはきな粉をぺろぺろと舐めていました。
もうずいぶん前からお中元やお歳暮といった慣習が消えましたね。贈る側からすれば金銭的負担が減りましたので、やれやれと思っている方々が多いのは容易に推察できます。しかし、そもそもあのような慣習は「お世話になっているのだから、せめてこれぐらいはさせていただこう」という気持ちから生まれたものだと思うんですね。お年始なんかもそうです。
そういった慣習をくだらないと思う人が増えたのは、おそらく感謝の気持ちもないのに贈り贈られる制度だけが残ってしまったからなんでしょうね。特に尊敬しているわけでもないのに、単に上司だから機械的にモノを贈る場合には確かにくだらないと思います。
しかし、感謝している誰かに、美味しいものを食べていただこうとか、せめてこれぐらいはさせていただこうとかいった気持ちで何かを送る(贈る)のは、これからも残したい慣習ではないでしょうか。
僕が皿屋先生や久保寺先生になにかしらの特別な施しをしているわけではありません。が、それでもこうして贈り贈られしていると、離れている人間同士であっても気持ちがつながるというものです。
いただくたびに、ありがたいなぁと思う気持ちと、逆に僕は先方に何ができているのかなぁという気持ちを抱きながら、お返しの本にサインをさせていただいて投函するようにしています。皆さん、本当にありがとうございます。またこれからもお付き合いください。
木村達哉拝
追記
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