読売新聞によると、2025年(2年後)実施の共通テストに組み込まれる新科目「情報Ⅰ」を、配点しない大学が出てきているとのこと。配点しないということは、受験必須科目ではあるけれども、得点は成績に含めないということである。したがって、それらの大学の受験生は「情報Ⅰ」が0点であってもまったく関係がないということになる。
いろんな意見があるだろうが、この流れは避けられないだろうし、他大学も似たような措置を取るのではないかと考えている。
それなら受験必須科目に組み入れなければいいじゃないかと言う人もいるだろうが、そこはそれ、大人の事情があるのだ。そう簡単に国の方針に背中を向けることは、研究にカネを投入してもらえない大学側としては死活問題なのである。英語4技能型の試験を導入する際に、東京大学が「うちは導入しない」と方針を公表したら自民党の国会議員Sが東大を恫喝したという事実も記憶に新しい。
どうしてこういう流れになっているのか。まずは「情報」の教員が全国の高校に分配されていないというのが1つ大きい理由としてあるのではないか。「情報」の免許を持っている教員が少ないかあるいはいない学校では、そっち方面に詳しい教員が「情報Ⅰ」の授業を行っていると聞く。「情報」の教員が充実している学校との不公平感は否めないだろう。
もう1つは過年度生(浪人生など)への配慮か。大学入試を受けるのはなにも高校生だけではない。定年退職をしたあとに、再度大学に入り直そうと考える人たちも少なくはない。そういった人たちや浪人生への配慮を一般的に「移行措置」という形で表すが、大学入試センターからは今のところそういった発表が行われていないので、それぞれの大学が行っていると考えれば「情報Ⅰ」を合否に組み入れない(配点しない)というのは一種の移行措置だろう。
それ以外にも原因は考えられるが、そもそもその「情報」という科目を共通テストに組み入れる必然性があるのかどうかを議論しなければならない日が来るのではないか。官僚は間違いを決して認めない生き物だと言われるが、共通テストにその科目を課すのであれば、課す理由や科目のレーゾンデートルに対するアカウンタビリティーはあるだろう。
そういった部分があいまいなまま、「これを受けろ」的に学びを強制するから、本来なら楽しいはずの学びに対して拒絶感を持つ生徒が増殖したり、あるいは国に対する不信感が払拭できなかったりするのではないか。政治家も官僚も「説明したつもり」「伝えたつもり」になっているだけで、実際には国民にまったく伝わっていないことが多い結果が今の日本なのではないかと考えている。
木村達哉拝