山形といえば思い出すのが何年か前、県立新庄北高校に向かう途中で、新幹線が雪で動かなくなったことだ。山形駅のホームに降りたち、さて新庄駅に向けて新幹線に乗るかと思いきや、改札口には新幹線が止まっている旨を告げる貼り紙が冷たい風にゆらゆらと揺れていた。
報道陣が当方に近づき、どこから来たのか、どこへ向かう予定なのか、どういう気持ちかと矢継ぎ早に質問を投げかける。いつもどおりのぶっきら棒で、「関西」「新庄」「想像してぇな」などと答えるが、翌日の山形新聞には、大阪からきた木村達哉さんは疲れ切った表情で「今の気持ちを想像してみてください。どうしたらいいんだろう」と途方に暮れていた、などと書かれてあった。そんなまとまったことは喋っていないし、そもそも疲れ切ってはいない。
今日から5日間、山形県にお世話になる。拙著をディープに使っている県立酒田西高校、県立鶴岡北高校、そして日本最古の公立高校である米沢興譲館高校で、生徒たちに英語の話、人生の話、日本の人口の話、経済の話などを投げる予定になっている。
教員というのはほぼ例外なく、担当教科をただただ教えるのみならず、なんとかして生徒たちに生きる気力(高いモチベーション)を身につけてもらおうと考えるものだ。そのために各界からヒトを呼んできては話を聞く機会を提供する。
自分の高校時代を思い返しても、学校は毎年のようにエライヒトを呼んできて、我々生徒を体育館に詰め込み、人生とは、学問とはといったような高尚なる話を聞かせたものである。自分のような堕落した生徒にとっては、そういった話があまりにも縁遠く、したがって滔々と話すヒトに対し、1分でも1秒でもいいから早く終われと念じ続けた。
話す側にまわると、相当な準備をしなければ90分も120分も話せないことに気がつくことになる。上記のような素晴らしい学校であってもおそらくは当時の自分がいるだろう。なんとかしてあくびを嚙み殺すような思いをさせたくない。
早く終われと念じられているのだろうなと考えながらも心を込めて準備をし、話をする。更には、のっけにそういった話をしてから講演に移ることにしている。自分のつまらない話が彼ら彼女らにとって、それなりに価値のあるものになればと念じつつ、こちらは1秒でも長く喋ってやるぞと息巻きながら庄内空港に降り立つつもりでいる。
木村達哉拝