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増刷~本を書くということ

2023.01.22(日) 08:00

アルクから連絡があり、『ユメリス①』『ユメリス②』『ユメリス③』『夢をかなえるリーディング①』などが増刷になるらしい。物書きとして最も好きな言葉である「増刷」をいただき、心浮き立つ思いである。これらはいずれも学校(や塾)の採用本であるからして、英語学習者が個人で購入することはできない。したがって、感謝の方向としては先生方ということになる。

時に「自分も本を出してみたい」という奇特な方からご連絡を頂戴する。なかには「弟子のひとりに加えて」ほしいらしい変態もおられ、いささか辟易する。本を出してみたいのであれば書けばよいだけの話なのである。

そういう人にどんな本を出したいのかと尋ねても、的を射た答えが返ってきたためしがない。ただなんとなしに「本を出したい」のだろう。本を出すという行為がどういうことなのかをわかっておられない証左である。批判しているわけではないので誤解なきよう。

本を書くというのは、言うなれば、我慢しきれずにクチから牛乳を吹き出すが如き行為なのである。下痢をしているときに、我慢しきれずにあそこからナニを放出させるが如きと言い換えてもよろしい。

脳の中に収納しておきたくてもしきれずに外に放出させてしまうほどの「想い」があり、それが文字という形に変容したものが書物なのである。中にはこのタイトルで馬鹿な読者が釣れればいいのになどと下品な欲を持って書いた本も存在するが、その本がヒットすることはあり得ない。プロである書店サイドはそのあたりをわかっているので、こいつは下品な本だなと思うと書店の棚には置かれないのである。

本を書きたいと思うのであれば、まずは勉強することだ。そのうち、そのインプットを外に出したいという気持ちが生まれるだろう。その気持ちを持ったまま、更に学ぶこと。ひたすら学んでいるうちに、先に書いた気持ちが徐々に毛穴からにじみ出てくる。まだだ。まだ我慢。

さらにさらに学んでいるうちに、噴出するものがある。それが本なのだ。拙著は90冊あるが、どれもこれも私の脳内でマグマのようにどろどろと溶け合っていたものが、一気に噴出したものばかり。ひたすら学んでいるうちに、体中の穴という穴から想いが飛び出してくるのである。

それはそれとして『ユメリス』や『ユメリー』の増刷はご採用くださっている先生方のおかげと、心から感謝しています。生徒たちによろしくお伝えください。会う機会があれば、著者として子どもたちに気合いを入れます。

木村達哉拝

追記
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