誕生日とはいえ、さすがに59歳にもなれば「おめでとう」でもなかろうと思うのだが、Facebook、Twitter、Instagram、Messenger、LINEを通じて、数えてみると240名もの方々がコメントなりご連絡なりをくださった。ありがたいことこの上ない。お気遣いに感謝したい。
すでに他界した父と母は、この年齢のときには病に臥せっていた。私は当時30歳。脳梗塞の後遺症で右半身が動かなくなった父をリハビリセンターに連れていったり、肺がんで呼吸ができずに苦しむ母を病院に見舞ったりしながら、多額の借金を抱えて暗澹たる将来を危惧してばかりいた。
自分も60歳を目前に控えた年齢になればそれなりの病苦と闘うことになるんだろうと、幼少期からぜん息持ちで病弱だった私は、父や母を見ながら覚悟していたものである。母が最後の息を止めたとき、父が風呂場で亡くなったとき、次は自分の番だと思って体が震えた。
それから約30年が経過し、私は極めて健康である。右目が緑内障であまり見えないとか、どういうわけか歯茎が痛いとか、飲み過ぎると翌日は必ず下痢するとか、そりゃそういった症状はあるけれども、それでも北海道から沖縄までを渡り歩いているうちに誰かに変な強壮剤でも飲まされたのか、すこぶる健康であり、白井君や佐藤君が患っている痛風もないし、血圧も上が105ほどなので心配の欠片もない。
いつまで生きられるのかは誰にもわからないが、間違いなくその日はやってくる。生きている時間が永遠に続かないことは誰でも知っている。だけれども、永遠に続くかのように生きている人が多いように思われる。時間に胡坐をかいて生きるのは間違いだと誰もが知っているのに。
私は幸運なことに病弱だったので、小学校4年生のときから死を意識し続けている。毎晩のように呼吸困難を経験していた子ども時代だった。次の呼吸で心臓が止まるんじゃないか、いよいよ次ので死ぬんじゃないかと思いながら夜を過ごした。したがって、人が思っている以上に、自分は死を意識しながら生きてきた。
今もそれは変わらない。今日は240ものCONGRATS(おめでとう)をいただいて、比較的いい人生だったのかもしれないなと思いながらも、もちろんまだ死なないぞとは思いながらも、でも突然やってくるであろうその時を怖れながら、私は生きている。
木村達哉拝