高校時代は大阪の清風高校という、当時は大した進学校でもなかった学校に通っていた。毎朝、全校朝礼が行われ、全員で般若心経を唱えるというファンタスティックな学校で、当時の熱心な先生方には大変申し訳ないが、私は本当に駄目な生徒であった。
日々の宿題が極めて多く、毎日必ず小テストや再テストが行われていた。こう書くと教育熱心な親は「まぁ、なんて素晴らしい学校!」とほざくだろうが、こちとら疲れ果てていた。退学していく同級生もかなり多かった。私は母が着物を売って学費を捻出していたことを知っていたので辞めたいとは言えなかったが、退学していった同級生たちが羨ましかった。
野球が好きな私は学校の帰り、南海ホークスの試合を観るために大阪球場に足を運んだ。今の人たちは大阪ドームと勘違いするかもしれないが、難波駅の駅前にドーンとすり鉢状の球場があり、極めて少人数の観客たちが試合を観に来ているのか、それとも野次を飛ばしに来ているのか、その両方なのかわからない球場があったのだ。私も酔っ払いの大人たちに混じって、野次を飛ばしまくった。野球は野次を飛ばしてナンボである。
大好きな選手がいた。門田博光である。天理高校からクラレ岡山を経て、阪急ブレーブスの指名をいったん見送るが、その翌年に南海ホークスのドラフト2位指名を勝ち取った選手である。身長は低かった。が、歴代のHR記録をチェックアップしてもらえばわかるとおり、王と野村に次いで第3位のHR数を誇る選手である。
全打席でHRを狙っているのがわかるほどの大振り。それでいて守備が上手く、足も速かった。アキレス腱を断裂するまでは。それ以上の情報はここには書くまい。興味のある人はこちらの本を読んでほしい。松永多佳倫氏の名著である。
門田がHRを打つ。流れるような美しいフォーム。ゆっくりとダイヤモンドをまわり、背番号27がにこやかにベンチに戻ってくる。ベンチに座っているのは野村監督である。門田と野村は仲が悪い。ファンなら誰でも知っているので、門田を出迎える野村が不貞腐れているのを楽しんでいた。疲れ果てていた私にとって、門田のHRはなにより精神のカタルシスとなっていた。
ある日、クラスメイトと観戦していたとき、やはり門田がHRを打った。その試合2本目をライトスタンド上段に叩き込んだとき、私は門田に「門田ぁ!お前は凄い!ちっちゃいのに凄い!」といったようなことを叫び続けた。門田がちらっと私のほうに視線を投げかけたように感じた。
ダイヤモンドをまわり、いったんはベンチに入った彼が、すぐに出てきたかと思うと、ベンチ上あたりに座っていた私と友人に向かって「来てくれてありがとうな!」と声をかけてくれた。高校生二人が大喜びで、そしてたった二人で、門田コールを何度も何度も送り続けたのは当然の礼儀である。
その門田が亡くなった。私は正直、そのニュースをスマホで見つけたとき、相当ショックだった。野村から「ワシの打点のためにホームランは打つなよ」といじめられても無視し、ホームランを打ち続けたあの門田が亡くなった。引退後は大酒をくらい、糖尿病を悪化させていたことを、上記の本が教えてくれた。門田、お前なにやってんねんとひとりごちた。
ヒットなら簡単に打つ門田は、それでもHRにこだわり続けた。男の美学というと時代遅れかもしれないが、村上君や大谷君とは違う泥臭いHR打者だった。彼が去った寂しさを自分の筆力では上手く表現できないが、こんな小さい体でも努力すりゃ簡単にHRが打てるねんでと教えてくれた門田のご冥福を心からお祈りしよう。天国で、天敵だった19番と野球談議に花を咲かせてください。
木村達哉拝
追記
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