あの日、私は灘校の職員室にいてテレビを見つめていた。海がどんどん街を飲み込んでいく様子が、人々の叫び声が、呆然とする人々が、次々に場所が切り替わっていくテレビカメラから吐き出されていた。それが2011年の今日。
翌年の2月。仙台市といわき市でチャリティーセミナーを開催した。日本各地から極めて多くの方々が参加してくだすった。それをきっかけに、それまでほとんど東北に足を運ばず、東北に6県あることすら知らなかった私は、毎年何度も仙台空港、庄内空港、花巻空港、福島空港、秋田空港、青森空港に降り立つことになる。そして東北のたくさんの方々と知り合うことになった。
復興ってどのレベルを言うのだろう。廃炉ってどうなっているんだろう。原発って必要なのかな。そういうことを日頃は考えない私たち。でも、20000人以上がお亡くなりになり、今もなお行方不明の方々がいらっしゃるあの地震のことを、今日ぐらいは少し考えてみてもいいんじゃないかなと思う。
改めて、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。そして、一日でも早い復興を、そして廃炉を、強く願っています。
3月22日から24日まで、また福島に滞在する。福島県教委のおかげで、福島の子どもたちに話をする機会を得た。風化させてはいけないとは言うけれど、であるならば足を運ばないといけないよなと思う。福島の子どもたちに何を語ろう。今はそんなことばかり考えて過ごしている。
木村達哉
追記
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