私のメーリングリストには4600名ほどの方々が登録しておられる。大半が英語の指導者。教育系企業の方々もおられる。その方々ならご存じかと思うが、九州の先生方による勉強会が開催され、久しぶりにけっこうな数の先生方が集まった。幹事は久留米大学附設中高の大藪先生、藤木先生、家中先生。
九州全県の英語の先生方や少数ではあったが塾の講師の方々、教育委員会の先生方。教育系企業の社員の方もご参加くださった。セミナー講師は大藪先生と藤木先生と私。大藪先生はICT教育について、藤木先生は久留米大学附設でのご指導について、そして私は日本とAIと英語教育について、それぞれ約1時間ずつ話をした。
多くの先生方がすでにDeepLやChatGPTを、あるいはそこまでじゃないにしてもタブレットなどをお使いになっているが、では指導方法が劇的に変わったかというとそれほどでもない。特に小学生や中学生の中にはスペリングが書けなくて英語が嫌いになるという向きもたくさんいると聞く。「最初に覚えるべきは意味と音であって、スペリングはもっと後でいいよ」と教えるべきだと考えるが、昭和が抜けない指導者も多い。
そりゃ高校生にもなってdogやskyが書けないと困るが、最初っからスペリングを書くよう指導するのは、アメリカからやってきたJohnやMaryに日本語の文字を書くよう指導するようなものだ。bookを「ほん」と言えるか、skyを「そら」と言えるか、teacherを「せんせい」と言えるかが大事なのであって、文字を書くのはもっともっと後になってからでいい。
AIに関しても同様。夏目漱石先生の『こころ』を読んで読書感想文を書いてこいという宿題はChatGPTに任せると完璧な文章を書いてくれる。自由英作文の宿題も然り。抽象度が上がれば上がるほど、ChatGPTの餌食となる。
であれば、どういう宿題を課すのか。それをどういうふうに授業に活かすのかが教員の力量として問われるのであって、昔からこういう指導をしてきました!と指導者が言っても、生徒からすれば迷惑千万である。
参加者にはGDで意見を出し合ってもらった。できる限り多くの先生方に考えを発表してもらった。それぞれの意見をどう受け止めて、どう自分の指導に活かすのかは参加者次第である。
ICTの費用対効果は高くはないという発言も昨日はあった。だが、だからと言って全く使わずに済ませる手もないように思う。便利なツールとして活用すべきだろう。タブレットを買ったから教材が買えなくなったが、そのぶん生徒たち個人に書店などで買ってこさせている先生方もおられた。公立の教育予算が少なく、ICTのせいで教材が私学ほど買えないのは大問題である。
懇親会も含めておおいに盛り上がった。やっぱりこうして顔を見ながら議論するのは最高にいいですねと多くの先生方がおっしゃっていた。懇親会では全員がマスクを外して大爆笑を繰り返した。九州はいつも異常なほど盛り上がっていた。それがコロナで3年ほど中断した。が、またあの九州が戻ってきたように思う。なんだか懐かしい思いで帰りの新幹線に飛び乗った。
木村達哉拝
追記
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