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忙しすぎる教員が多すぎるのは

2023.04.03(月) 01:00

絵はもう描かないのですかとある人から尋ねられた。そんなことはないんだけれども、今は描く時間的余裕がなくてとお答えすることになる。いやしかし、つくづくクリエイターに余裕は必要不可欠だ。走り回っている一流のクリエイターなど聞いたことがない。

昨年6月上梓の『あなたのちからになりたくて』は今のところ900部ほど売れている。増刷まではまったく届いていないが、このまま絶版にさえならなければ再来年の2025年ぐらいには、とひそかに期待しているところである。

この絵本は私が儲けるために創ったわけではないのでカネはどうでもいいが、こんな素人の絵を本にしてくださったラグーナ出版さんに申し訳が立たない。そんなわけで増刷になればと心から願っている。皆さんもよかったら(書店には置かれていないと思うので)amazonなりなんなりでお買い求めいただきたい。amazonのページはこちら

思うに、教員はクリエイターである。絵本や映画ではなく、人を創っているのである。上記のとおり、忙しく走り回っていると良いものなど創れない。だいたい昔から風呂に入っているとき、枕に頭を乗せているとき、馬にまたがっているときに良い発想は生まれ、良いものが創れると言われてきた。

その点で言えば、忙しすぎる現在の日本の教員はクリエイターとしてはなかなか厳しい。本来ならば国なり文科省なり、私学の場合ならば管理職なりが、然るべき時間の余裕を与えて教員にしっかりと考えさせねばならない。でないと、生徒が迷惑である。

教員は生徒のために生徒のためにと念仏のように唱えるが、師弟関係において師に余裕がない状態では弟は戸惑う。忙しすぎる教員は「生徒のために」なっていない。暇そうに見えて、師匠というのはしっかりと見るべきを見、忠言すべきときは厳しい言葉を吐き、自らを高めるために書物を繙くのである。

しっかりと見る時間がなければ、厳しい忠言を吐くこともできず、書物を開く時間も与えられない教員が多すぎるのは、やはり国家の損失だ。教育に関心の無さそうな政治家や官僚が多いのは残念至極ではあるが、教員こそ幸せでなければ国は滅びる。

木村達哉

追記
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