不登校の生徒を受け入れている埼玉県の創学舎高校。その生徒たち(と保護者)に講演をしたのは今年の1月だった。学校長の五十嵐雅子先生は以前から私のセミナーにしょっちゅうご参加くださっている。こう書くと失礼ながら、ご年齢を感じさせない若々しい考えの持ち主で、社会の変化とそれに対応すべき教育の変化に敏感でいらっしゃる。
その五十嵐先生、私の絵本をいたく気に入ってくださり、生徒たちにプレゼントしたいと仰った。欲しくもない生徒にまでばらまくのはもったいない、もしかしたらメルカリなどで売り払う親の心子知らずな生徒もいるだろうからと、希望する子どもたち全員にプレゼントなさった。
結果、50冊もお買い上げくださることになり、当然のことながらそれ以来私は埼玉県深谷市に足を向けて寝ることができなくなった。今も寝る前には深谷市の位置を確認し、そちらには足を向けて・・・もういいかな、この話は。
もしかしたら物理的に向けてはいても、気持ちは向けていない。感謝の気持ちで一杯である。
その彼女から、創学舎高校の卒業式で読み上げたいので、巣立っていく子どもたちへ卒業お祝いのメッセージをくれないかという依頼が届いた。断る理由はない。1月に私の目の前で真剣なまなざしを向けてくれた生徒たちに、心を込めて文章を書いて送った。生徒たちはいたく喜んでくれたらしい。
どういうメッセージを送ろうかと考えたが、ど真ん中にストレートを放り込むことにした。大人からのメッセージとして、不登校だからって気にしなくていいよ、気楽に生きていっていいからね的な無責任な言葉は卒業のメッセージとしては不適切で無責任ではないかと考えた。
創学舎高校卒業生に向けて、なにか1つでいいから自分の武器と言えるものを見つけて磨いていってもらいたいと書いた。学校や成績の良し悪しで人生が決まるほど人生は軽くないし甘くはない。その点では中学や高校時代に不登校であろうと、それほど痛みが伴うわけではない。
ただ、高校を卒業すると「不登校」という言葉の呪縛からは解放されるだろうが、それと同時に社会での自立が求められる。ある意味では学校のほうが気楽でよかったと感じるだろう。どこかでは自分の足で立ち上がらなければ、自分の足で大地を踏みしめなければ、生きていくのは難しい。
学校では見つけられなかった武器を、これからの人生では見つけて磨いていってもらいたい。大谷さんや村上さんにとっては野球という武器があった。辻井さんや坂本さんは音楽であった。私は数学や理科はまるで駄目だったが、英語や文章という武器を見つけた。あの子たちの武器も、自分が幸せに生きていくだめの武器も、必ず見つかるはずだ。努力をしなければ見つからないだろうけれど。
五十嵐先生はこのたびどういうわけか、またまた50冊の絵本を買ってくださった。今度はどなたにプレゼントなさるのだろう。いい学校に入ったのに通えなくなってしまった子どもたちに読んでほしくて創った絵本である。社会でどうしてもうまくいかない人たちに読んでほしくて創った絵本である。また五十嵐先生から受け取った方々が、今日からちょっとは頑張ってみようかなと思ってくださるのであれば、著者としては欣幸である。
木村達哉
追記
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