佐藤君のお母さんの発言を堀江さんや西村さんや茂木さんが厳しく批判したというニュースを読んで、そりゃしょうがないなと思っている。佐藤君はとてつもなく素直で、やれと言われたことは必ずするタイプの、灘校でもレア系のお子さんだった。素直中の素直。あんな生徒は見たことがない。
だからレールに乗ればゴールまでは行き着くタイプで、案の定と言えば本人は気を悪くするかもしれないが、東京大学にすんなり合格した。努力は言うまでもなく怠らず、それも学校やら家庭やらの指導に素直に従う彼の特質である。別に学校や母親が「東大に入れた」わけではない。
以前から申し上げているとおり、東大に何人合格したから学校がガッツポーズをするような日本独特の文化はもう止めにしてほしい。週刊誌に東大力だの医学部力だのといったナンセンスで下品な言葉が躍り、それを本当に一部の親が買い漁る。週刊朝日が廃刊になったが、そんな記事で購買部数を稼いでいるような週刊誌は潰れたほうがよい。大事なことは、入学した人たちがちゃあんと社会で活躍できるほど合格後も努力を継続したかどうかの一点だ。
加えて、ほとんどの人間にとっては、東大に何人入っただのなんだのというのはどうでもいい話で、ましてや他人の子どもが東大に入ったとか医学部に入ったとかいってもその子が有能な社会人になるかどうかとは全く関係がないことぐらい、普通の価値観を持っているいっぱしの大人であれば知っているはずだ。
ただ、ごく一部の保護者の中には受験に対する意識が宗教的と言っても過言ではないぐらい高い方々がおられる。東大なり医学部なりリサンなりに入ってしまえば悠々自適な生活が待っていると誤解されている人たちなのだろうか。そういった方々から見れば、佐藤君のおっかさんは教祖なのだろう。
一方、世界は驚異的な速度で動いているのはご存じのとおり。AIの開発合戦になり、朝令暮改ではないけれども、朝に存在しなかったAIが夕方には発表されているという日だってある。この先の世界動向は誰にも見渡せず、世界中のインテリたちが固唾を飲んで見守っている。OpenAIやMusk氏などの開発側は虎視眈々とマーケットを伺っている。
その中で「東大何人」という村人たちのガッツポーズには何の意味もない。世界の潮流からは完全に外れた亜流中の亜流である。学校は人を育てるのみ。合格者人数には意味などない。先に挙げた茂木さんたちが日本からいかに優秀な人材を出すかという視点を持っておられるのに対し、本当にごく一部の親は東大や医学部という極めて小さいゴールに合格する(させる)にはどうすればいいのかという視点を持っているのである。
両者の視点が違い過ぎるので、佐藤君のお母さんの意見は茂木さんたちから見れば本当につまらなく思えるのも当然だ。私も灘校にいたので誤解されがちだが、生徒たちにはたかだか東大やリサンぐらいで胸を張るようなバカになってはいけないと常々言ってきた。大学合格など単なる入口でしかない。
若い人たちはできるだけ早くにAIに触れて、それを使うだけでなく作る側にまわってほしいと考えている。また、賢明な受験生は東大をゴールにしてはならないことぐらい承知していることと思う。
最後に、愚かなメディアはたかがいち保護者の特殊な家庭環境を神格化するのはお止めになったほうがよろしい。それよりも、なぁんにも子どもには手もクチも出さず、自分の人生を楽しんでおられる保護者の子どもたちが自力で東大なり京大なりハーバード大なりに合格しているほうを取り上げるべきだ。私の行きつけの寿司屋の大将は毎日寿司を握っているし、おかみさんは毎日そのお手伝いをされているが、彼らの息子たちは東大なり東北大なりに合格している。そっちのほうが凄いと私は思う。どうしてそんなに放置しているのに子どもたちは優秀なのかを取り上げるべきだ。
木村達哉
追記
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