若い頃は生徒たちが塾に行くのをナンセンスだなぁと思っていたが、それは私が成績の上げ方を知らなかったことと、自分の生徒たちを囲い込みたいという意味のない願望を持っていたからである。私が頑張って教えているのにどうして他の教員にも習うのだという疑問を持っていたように思う。
が、ある程度の年数を重ねると、ひとりの教員がすべての生徒たちの成績を管理するのは不可能だと思うようになった。多くの学校では40人から45人の生徒たちが1つの教室にいる。4クラスを教えるとすれば、だいたい180人程度を教えることになるが、生徒たち全員が頑張っているわけではない。また、頑張っている生徒であっても、なんだか今日は頑張れないなという日もある。
学校は直線的に教える。わかりやすいのは日本史である。古墳時代が終わったら奈良時代へ。それが終わると平安時代へと進んでいく。今日はまた古墳時代に戻りますというようなことはない。英語も然り。レッスン1が終わると2へ進む。2が終わって3へ進んで、それが終わると1に戻るということはない。
本(問題集)の場合もそうだ。私の『5ステージ英文法完成』は学んだことを戻りながら進んでいく英文法の問題集だが、そういう本はほとんど無い。多少の語弊はあるにしても人間の脳は忘れるのが仕事なのだから、本来は戻りながら進まねばならないのに、どんどん直線的に勉強してしまうことになる。残念ながらそれではなかなか伸びないことになる。
塾に通うことによって、戻ることが可能となる。積み残した荷物を再度積み込むのは、新しい荷物を積むのよりも大変である。日本史の場合だと、古墳時代は勉強した。奈良時代と平安時代はサボった。鎌倉時代からわからなくなったので、積み残した奈良時代から勉強することが必要だが、それを勉強しながらも新しいことを教わるので、荷物が二重になる。
塾には2種類ある。進学塾と補習塾である。積み残した荷物が多い生徒が行かねばならないのは補習塾である。補習塾に行かねばならない子が進学塾に行くと悲劇である。わからないことを教えてもらえればいいのだが、そこを教えてもらえないことになる。また、大きい教室で勉強する塾(つまり学校と同じ形態の塾)の場合、個別に対応できるわけがない。
キムタツチャンネルで塾について話した(こちら)。せっかく行くのであれば自分のニーズに合った塾に行かねばならない。友達が行っているから私も行くというスタイルが最も危険である。日本の生徒たちの場合、合っているかどうかが一番大事な視点なのに、その一番大事な部分で思考停止になり、結局は時間とカネの無駄になるケースが多いように思う。保護者が敏感になるべきなのだろう。
木村達哉
追記
無料メルマガ「KIMUTATSU JOURNAL」を配信しています。メルマガを読みたいという方はこちらからご登録ください。週2~3通のメールが私から届きます。勉強について、英語について、幸せについて、人生について、お金について、書いています。