ある先生からご連絡を頂戴し、この4月から小学校で働き始めたんだけれども、もう精神的に耐えられないので今年度で退職することにしたとのことだった。と言ってもまだ9カ月も残っているので、病んでしまわなないように気をつけてくださいと返信をした。
別の先生からは、私学から公立に移ったけれどもかなりきつく、管理職の理解も得られそうにないので、また私学に戻ろうと決めたというご連絡。働き始めるときには企業や学校から採用をいただかねばならないが、辞める場合は労働者側に権利があるのだから、これまた3月までに病まないように、決して無理をしないようにと返信をした。
これぞ天職!と働いている方々もたくさんいらっしゃるのは間違いない。が、天職どころか転職のことばかり考えている方々も極めてたくさんいらっしゃるのも事実。先生方のやりがいをアピールする自治体が多いけれども、そんなことを言っていたら企業だって警察だって自衛隊だってやりがいは教員と同レベルか、人命にかかわる仕事の場合には教員以上にあるかもしれない。
教育現場はその「やりがい」という言葉に胡坐をかいてきた。教員をしめつけ、教育再生会議なるものを結成しては教員の仕事を増やし、教育を再生させるどころか堕落させてしまった。官僚無謬主義もいいが、どこでどう間違えたのかを検証することが求められるのではないだろうか。
例えば、教員を増やせ増やせと言うけれども、少子化が進めば教員は余ってくるのだから増やしてばかりもいられないだろうという姿勢があったのではないかと、実は私はうがって考えている。また、ひとつの教室の生徒数を40人にした頃に、ゆくゆくはフィンランドのように10人や20人にすればもっと教育的効果があるのにという声があがっていたが、まったく議論されなかった。
岸田総理はよく「待ったなし」という言葉を使うが、その割には待ってばかりいて動きが遅い。学校は生徒も教員もどんどん減少している。文字通りに待ったなしの改革を強く望む。退職を考える教員と、先生が教室に来ない生徒たちと、それから教員の仕事を、これ以上増やすべきではない。
木村達哉
追記
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