先ごろ、那覇の保護司の方からメールをいただいた。保護司というのは犯罪や非行に走ってしまった人の更生をボランティアで請け負うお仕事をされている方々である。那覇市と豊見城市の保護区大会で講演をお願いしたいという内容だったので、安請け合いしてしまった。
そもそもどういう場所で何人ぐらいの方々に向かって話すのかを教えていただかないといけない。お聞きすると、豊見城市中央公民館の大ホールで、約600人のウチナーンチュの方々にお話しするということであった。そのあたりで雲行きが怪しくなるのを感じた。
推進委員の名簿が送られてきて、バク転しそうになった。委員長が徳元豊見城市長。副委員長が知念那覇市長。以下、教育委員会教育長、保護司会会長、警察署長、社会福祉協議会会長、更生保護女性会会長等など、錚々たるメンバーが並んでいるではないか。もしかして、こういった方々も?とお聞きすると、もちろん参加されます!とおっしゃる。
中央の垂れ幕をよくご覧いただきたい。ものすごく「木村達哉氏」が浮いているような気がして、中央公民館に到着した瞬間に泣きたくなった。式次第を見た瞬間、実際に泣いた。この順番を決めたのはどなたなんだろう。
岸田内閣総理大臣→玉城デニー県知事→キムタツ
そりゃエライ人たちは代読だったけれども、聞いている人たちはおそらく、おぉ!総理大臣!おぉ!デニー知事!と思われたことだろう。そして、その次に真っ赤なかりゆしウェアを着て登場した小さいおっさんを見て、誰だこれ?と思ったことだろう。アウェイ感に包まれて、いよいよ講演を始めることとなった。関西弁バリバリの講演を。
長々と書いたってわからないだろうからかいつまんで書くと、要するに講演と言うよりいつもの爆笑トークショーと相成った。市長をはじめとするエライ方々も最初から最後まで大笑いをしておられた。ま、私の果たすべき役割はこれでいいような気がする。終わってから豊見城市長が控室に挨拶にいらっしゃった。腰の低い市長で好感を持った。
講演の内容は、ざっくり要約すれば「せっかく生まれてきたのだから幸せに生きましょうよ、皆さん」というようなものであったが、沖縄の皆さんのハートに響いたのであれば嬉しく思う。終わってから舞台袖にいらっしゃった保護司の皆さんから、笑い過ぎて涙が止まらないと言っていただいた。よかよか。人生、泣いて生まれてきたんだから、死ぬときは笑って死にたい。
そんなわけで、式次第を見たときには泣きたくなった私だけれども、公民館を後にする頃には皆さんからのありがとうに包まれて、幸せな気持ちで車のエンジンをかけることができた。客席にいた知り合いたちからは「あの堅い雰囲気で市長のかりゆしをいじったのはエライ!」と言ってもらった。要は、いつもどおりの自分を沖縄に受け入れてもらえた。それが何より嬉しい。
木村達哉
追記
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