午後の便で沖縄から自宅に帰ってきた。沖縄より大阪のほうが暑いんじゃないかとスマホを見たら40℃と表示されていた。沖縄に避暑に行く時代になったんだなぁと思いながら、過去の気温を調べた。今はネットがあって、たとえば1995年の東京がどういう外気温だったかがすぐにわかる。
と・・・
1995年の7月に30℃を超える日はほとんどなかったことがわかった。だいたい25℃から28℃の間ぐらいである。また、朝夕の最低気温を示す数字はだいたい21℃から23℃。19℃という日もある。つまり確実にこの30年ほどの間にものすごく暑くなったのだ。
これが人為的なものなのか、それとも地球の変動なのかは専門家によっても意見が異なるようだ。前者であれば二酸化炭素放出量を減少させるなどして気温を以前に戻さないといけない。あまりの暑さにお亡くなりになっている人たちのニュースを見るに、ビニール袋だけでなくペットボトルも廃止すればいいんじゃないかとさえ思える。
一方で、これはそもそも地球が温暖化しているのであって、人間がどうこうしようとも関係ないのだという説を唱える専門家もいらっしゃる。氷河期がやってきて恐竜が絶滅に追いやられたように、寒冷期や温暖期は四季の如く巡ってくるのであって、たかだかビニール袋を廃止したからといってどうなるものでもないのだとのこと。
正解は誰にもわからないのだから、とりあえずは前者だろうということにして、ガソリンを使わない電気自動車にしてしまおうとか、有料化どころかそもそもビニール袋を廃止してしまおうとかいった活動は日本よりも海外のほうが活発である。おそらく政治家のクオリティーの違いなのだろう。地球のことを考える政治家と企業献金のことを考える政治家とでは、政策に違いが出るのは言うまでもない。
個人でできることはたかが知れているけれども、私は乗っていた大きい車をこの1月に廃車にした。買い物の際は、まるでアメリカのように、レジ袋はいただかず、沖縄で買った紅型のバッグを持っていくことにしている。それ以外に何ができるのかわからないが、生まれ変わったときに地球がないのは困る。
この暑さで部活動帰りの女子生徒がお亡くなりになったと報じられたが、学校の管理職は「先生方、気をつけてください」ではなく、こういうときこそリーダーシップを発揮してほしい。部活動はやめておこうと強権を発動してほしい。学校の活動が生徒の命を奪う気温なのだということを知っておかねばならない。
木村達哉
追記
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