灘校時代、英語の文章を読めない生徒があまりにも多いものだから、これはそもそも日本語でも読めないんじゃないか?と思うに至った。単語知ってる、文法も知ってる、だけど途中で何が書いてあるのかわからなくなる…って、それはもしかして文章の読み方をそもそも知らないのであろうと。
読書慣れしている人の場合、次は何を書いてあるんだろうとか、この著者はどうしてこんな書き方をしたんだろうとか、この著者の言っていることは本当だなぁとか、逆に大したことないなぁとか、思考しながら読むことになる。クリティカルに読むのである。英語での読書も同じ。
受験界では長文読解なんて言い方をするけれども、東大の小説であっても「長文」ではない。むしろ文章としてはかなり短い部類であろう。たかだか900語程度しかないのである。意味を追いながらかなりゆっくり読んだとしても5分もあれば読み終わる。
ところが途中で意味がわからなくなるとか、SとかVとかスラッシュとかを書かねば読めない程度の学習者の場合は読み終わるのがかなり遅くなるし、記号を書き込みながら読んでいれば普通は筆者の言いたいことが理解できなくなる。試しに日本の新聞などでやってみればいい。書いてあることが全くわからないことに気づくだろう。
灘校では英語を読む際にそういった無駄な記号を記入することを禁じていたが、大したことのない学習者はやたらと書き込む。キミは本を読むときに記号を書き込むのか?と聞くと首を横に振る。大学に入って読む論文はその程度の長さではないのだ。さっと読む習慣を身につけておかねば大学の先生に迷惑をかける。合格がゴールではないのだ。そもそも記入することで合格からも離れていくというのに。
66回生を教え始めたのは今から15年ほど前だが、毎月私が読んだ本の中からかなり良いと思った本をコラム付きで紹介し始めた。国語科と地歴公民科の教員が自分たちも加わりたいと言ってくれた。退職するまでずっと続けていたが、毎月その中からいいなと思った本を読む生徒が増えた。同時に、英語の文章が読める生徒が激増した。当然の帰結である。
灘校を退職してからも本の推薦はこのHPの「おすすめ本」で続けている。どれぐらいの人たちが読んでいるのかわからないけれども、お会いする方から読みましたよと言っていただくと嬉しいものだ。私の本も読んでいただきたいが、とにかく読書人口を増やさないと思考停止に陥る日本人だらけになる。これからも続けていこう。今日は原田マハさんの本を紹介した。
木村達哉
追記
東京ロングセミナーの申込人数がかなり多くなりました。ありがとうございます。ラサールの丸山君、聖光学院の佐藤君とともに、生徒たちをどう鍛えているか(いたか)についてお話をします。お申し込みはこちらです。よろしくお願いします。