Facebook、Twitter、Instagram…SNSはひと通りやっている。物書きが無料で文章を垂れ流すことに関してはご意見もあろう。予てから私淑している浅田次郎先生はある文章の中で、物書きは無料で文章を書くべきではないとおっしゃっている。いたずらをした犬のような気分になる。
実際、友人の松永多佳倫はいっさいその手のをやらない。彼は大学の卒論でさえも、どうして俺が無料で文章を書かねばならないんだと拒否したぐらいだから、尊敬に値するほど徹底している。数多くの著作を読むにつけ、文章を書くことへの彼のこだわりが見てとれて、かくあらねばと強く思わされる。
SNSに関して言えばそれなりには言い分があるのだけれども、要するに私は中途半端なのだろう。浅田先生のような文豪であればきっと「無料では文章を書かぬ」と胸を張ることになろう。また、完全なる修行の身であるならば「そんなものを書いているヒマなどない」と原稿用紙なりPCなりに日々向かうことになろう。
90作の本を世に送り出してきた。何十万部かが毎年毎年売れていることから判断するに、受験生であれば私の名前を知っている人もそれなりにはいるはずだ。しかし、「作家」という肩書きに相応しい作品はとなれば、自分自身でもまだまだだなぁと思わずにはいられない。英語の文章も日本語の文章も、要するに中途半端なのである。
SNSはそれなりに続けざるを得ない事情はあるにしても、中途半端の域から早く脱するために然るべき勉強を続けていかねばならない。文章を書くというのはアウトプットだが、1冊のアウトプットのためには何冊ものインプットが必要である。それも質の高いインプットが。単に読むだけではいけない。
自分の力を勘違いしてしまわないように気を付けながら書き続けよう。書けば書くほど自分の文章力の低さに辟易してばかりいるけれども、5年後に同じ気持ちで文章を書かずに済むように、時間を大切にして一流の文章に日々あたろう。
木村達哉
追記
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