那覇保護区大会で講演したのは先月末のこと。保護司の方からご依頼を賜り、極めて多くの沖縄の皆さんの前で講演をした。那覇市市長、豊見城市市長、両市警察署長など、エライ方々がご臨席の折、あまりにも似つかわしくないヤマトンチュが45分間の講演というよりトークを繰り広げた。
私の声を聞くのは初めてだという方は手を挙げていただけますかと言うと、大多数が挙手された。おそらく、誰だこれと思っている方々もいらっしゃったことだろう。真っ赤なかりゆしウェアを着て壇上に上がり、関西弁で「仮に面白くなくても笑ってくれはれへんと喋りにくいのでよろしく頼みます!」からスタートさせた59歳男に不信感を抱いた方も少なくなかったのではないか。
私のほうはというと珍しく前日から緊張していた。オリジン・コーポレーションとひーぷーさんのおかげでラジオ番組を持たせていただいているけれども、そして沖縄でのボランティア活動を始めてちょうど10年が経とうとしているけれども、私のことを知らない人のほうが多いのは間違いない。
極めて公的な大会で講演をするに相応しいい人物か否かは誰よりも自分が理解している。これが英語教育についての講演ならばなんてことはないし、緊張もしなかっただろう。が、犯罪や非行に走ってしまった人を更生させるのがお仕事の保護司さんたちの大会で講演するのは、果たして自分でいいのかという思いがあった。
結果的に緊張も心配も杞憂に終わったのは最前列にお座りになっていた豊見城市市長が大笑いしながら、そして大きく頷きながら、時には膝を叩きながら、聞いていてくださったからである。誰でもそうだとは思うけれども、そういうオーディエンスが目の前にいると話しやすいのは言うまでもない。彼に心から感謝しながら45分の話を終えることができた。
終了後、徳元市長が笑顔で控室に挨拶に来てくださった。名刺を交換し、これからも沖縄のためによろしくお願いしますと声をかけてくださった。41歳の政治家は非常に腰が低く、笑顔が作り笑いではなく自然なそれだった。そしてそれから数日後、彼からお礼の手紙が届いた。
かくあらねば、と思う。社会的立場が高くなっていくと、口では謙虚なことを言っていても行動が伴わない人のほうが多い。わざわざお礼状を送る人がどれだけいるだろう。お礼状に返事を書く人がどれだけいるだろう。
お礼状を受け取ってそのままにしておくのも座りが悪いので、万年筆で便箋1枚にびっしりとお礼の文章を書き、『あなたのちからになりたくて』にサインをして市長に送らせてもらった。またお会いすることがあるかもしれないが、またお互いに笑顔を交わし合えればと思う。人と人のご縁は大切だが、壊れやすい。お互いが努力しないと継続できない。
木村達哉
追記
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