教科書が正しいとは限らない。そう書くとまたぞろ文科省を批判するのかと思われる向きもあるかもしれないが、そうではない。教科書は、その執筆者でさえも疑念を持って書き進めている場合も少なくないのである。
一例を挙げる。以前であれば、手術のあとの患者は動かずにじっと寝ていろというのが「教科書」であった。今ではどうだ。直後からできる限り体を動かすことが奨励されているではないか。子どもを出産したばかりの女性も、できる限り動きなさいという指導を受ける。
英語も然り、昭和時代の教科書や単語集熟語集にはmuch moreがmuch lessの反意語句として掲載されていたし、実際に大学入試で出題されていた。現在では『ジーニアス英和辞典』に<古>という記号が付せられている。別の辞書や参考書には、そんな表現はそもそも無いと書かれている。要するに、使われていない英語表現を必死に覚えていたのだ。昭和時代の「名著」には極めて古い英語表現が掲載されている。そしてそれは依然として書店の参考書コーナーに並べられている。ちなみに、最近の日本史の教科書には聖徳太子も鎖国も掲載されていない。
それを考えると、現在正しいと思われていること、現在定説とされていることも、「現時点での」と考えたほうがよさそうだ。そうすると、新しい本であればあるほど、つまり情報がアップデートされたものであるほど優れた教科書だと言えるのだろう。
古い本を資料として読むのはまったく問題ないし、むしろ知識の歴史を学ぶことは有益である。が、高校生や中学生が聖徳太子や鎖国の説明にかなり多くの記述を割いている本を使って日本史の勉強をしたり、現在使われているとは到底思えないような英語の文章を使って英語の勉強をすることは、あまり推奨できない。
そういった本を薦めているのはたいてい昭和時代の教員である。自分が使ったものを推薦しているのだろう。確かに良いものもないわけではない。が、古い水夫には新しい船を動かせない可能性がある。中学生高校生には自分の目でしっかりと確認する目(リテラシー)を持ってほしいと願っている。
木村達哉
追記
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