昨日は三省堂の本社に赴いて、数時間の会議を持った。我々物書きにとっては執筆の始め方が3パターン(もしかしたらそれ以上)ある。1つ目は版元からの依頼である。版元からこれこれこういう本を書いてもらえないかと依頼があるのだ(業界の方でないと版元という言葉をご存じないかもしれないので、以後は出版社と記す)。
その場合、自分がそのとき抱えている仕事量や物書きとしてのイメージ等と相談して諾否を決定する。現在は3冊ほど同時に書き進めているのでちょっと厳しいですねとか、今ならちょうど時間が空いたので問題ないですよとか回答する。今回の三省堂も最初はこのパターンだった。
2つ目も出版社からの依頼ではあるが、1つ目と違う点は「なんでもいいからウチから出してくれ」というようなものだ。その場合、私が持っている企画(10冊分程度の企画は常に持っている)とその企業イメージが合うかどうかを検討することになる。出版社はとにかく出してほしいと言っているのだから、企画は通りやすい。
3つ目は、私に書きたいものがあって企画書を出版社に提示するパターンである。これこれこういうものを書きたいのだけれども御社で出してもらえんだろうかとお願いするのだ。平身低頭というわけではないにしても、出版社各位の表情や目つきから、どうやら大丈夫そうだぞとかこりゃ駄目みたいだなぁとかいった想いを胸に秘めながら、書きたい本がいかに大衆にとって社会にとって必要かつ重要かを滔々と説くことになる。
今回の三省堂は珍しいことに1と2と3のミックスパターンとなり、この2年か3年で6冊の本を書くことが決まった。企画についての詳細は書けないけれども、現在執筆中の学研とアルクの本を合わせ、企画が通ったものが全部世の中に出た時点で、私の著作は100冊となる。
2005年に第一作目のリスニング本を出版したとき、生きている間に100冊は書きたいと思った。それだけの企画が(つまり、想いが)あった。昨年6月にラグーナ出版から出した『あなたのちからになりたくて』が90作目。90の中にはすでに絶版になってしまった分身たちもあるが、それはしょうがない。社会的役割を終えたのだ。
右目の視野欠損により、物を見るのは左目頼り。それでも脳が動くかぎりは文章を書く人生を送りたい。そのためには書く何倍もの量の文章を読むことになる。そういう人生を送りたくて灘校を辞めたのである。俺の左目と脳よ、よろしく頼むよと手を合わせながら、今日もしっかりと本を読み、本を書く。
木村達哉
追記
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