昨日はある著名なミュージシャンとお会いした。お話を伺うにつれ、彼の強い覚悟を感じた。自分にはどういう覚悟があるのかなぁと、我が身を振り返りながら90分ほど話した。
2011年3月11日。巨大な地震と、それに伴う津波が東日本沿岸地域を襲った。2万2215名の方々がお亡くなりになったり今もなお行方がわからなかったり。私は灘校職員室のテレビで様子を見ていたけれども、まさかこんな大災害になるとは思わなかった。2023年になっても元の生活に戻れない人々が何万人もいるような状況になるとは、という意味だ。
多くの方々が被災地を訪れ、いろいろなカタチでの支援を行っておられていたけれども、なんだか物見遊山に終わるのが嫌で、私は自分の気持ちが熟するのを待っていた。やはりどうしても行きたいという気持ちが強くなり、宮城と福島でチャリティーイベントを行ったのは地震から11か月後、つまり2012年2月。
その翌年、沖縄の学校から初めて講演の依頼を頂戴した。懇親会で、沖縄の教育における問題点について深い知識を得た。いや、今から思えば「深い」というほどでもなかったように思う。が、当時はそう思っていた。そして自分にできることがあるならと、福島に倣って沖縄でもNPOを始めた。
それ以来、現在までボランティア活動を継続している。が、昨日お会いしたミュージシャンほどの覚悟が自分にあるのかなと思わざるを得ない。東北にしても沖縄にしても、自分はどういう気持ちで「支援」ができているのかなと考える。「支援」からカッコが取れる日は来るのかなと思う。
灘校を退職する際、強い覚悟を持った。年収900万円ほどが消えるのだから当然と言えば当然かもしれない。そして今に至るまで、その強い覚悟を継続しているのは自分でもわかる。それと同じぐらい強い覚悟を持って、福島と沖縄に臨んでいるのかなと、昨日から自問しているところである。
今日また福島の学校から来てくれないかという依頼をいただいた。中途半端な気持ちで臨むのは相手に失礼であろう。2012年2月に抱いて東北を訪れた強い気持ちをもう一度脳内に復活させ、生徒たちに話をさせてもらいたいと思う。
木村達哉
追記
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