埼玉県のニュース(こちら)。もうこの手の報道に慣れている自分が怖いけれども、年度当初に足りなかった教員の数が88人。それが現在では205人に膨らんでいるのだから、大学3年生から採用試験が受けれらるようにしたからといっても意味をなさない。穴を塞がねば、入った水は底から抜ける。
ペーパーティーチャーに対してセミナーを開き、成績なんて上げなくてもいいからとにかく授業開始のチャイムから終了のチャイムまでは教壇に立っておいてくれということなのだろう。県教委も必死なのはわかるけれども、再度書くが、仮にそれで数を補えたとしても、その人たちもどんどん辞めていく。
成績なんて上げなくてもいいからと書いたが、本当にそれでいいのかという問題もある。誰でもいいから免許を持っているなら是非!という状況で、まともな人が応募するはずがない。ここで言う「まともな人」というのは、たとえば英語であればせめてTOEICであれば900点以上の英語力がある人が「まとも」に生徒たちの英語力を上げられると考える。数学や理科も然り。900では低いかもしれないが。
もう教員免許には何の意味もなくなっていることに気づいている人も多いと思うのだが如何だろう。私の知り合いが先日ある学校で授業をした(講演ではない)が、彼女は免許を持っていない。学校名は伏せるけれども、通信制の学校である。文科省のお墨付きのあるれっきとした学校の授業で、堂々と無免許の人間が授業を行っているのである。
学習指導要領を無視している学校も多数ある。通知簿にはあたかも指導要領を守っているかのように単位を読み替えるけれども、実際には教えていない教科や科目がある学校は多い。さらに加えて、卒業に必要な単位などもおおよそ無視されている。高2で数学や理科の授業数が0の学校もたくさんある。まったく学校に通っていない生徒たちが卒業していく。
何年か前に履修漏れの学校が報道されたが、今は昔。教員免許も学習指導要録も卒業単位数も無視している学校が跋扈しているのだから、資格のある人間しか授業ができないという状況を変えたほうがいいように思われる。2023年が2033年になる頃には教員不足は今よりも酷くなり、どの道を行ってもシステムのほうを変えねばならない日が来るのである。労働条件を改善することは必須条件である。が、十分条件ではない。
木村達哉
追記
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