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不登校という言葉はなかったので

2023.10.06(金) 08:00

昭和女子大学附属昭和中学校・高等学校の真下校長先生が私のセミナーにご参加くださった。その際、後方のブースに置いてあった私の絵本を12冊もまとめ買いしてくださった。各教室に1冊ずつ置きますとのことであった。

『あなたのちからになりたくて』の「あなた」って誰ですかと尋ねられたことがある。そもそもこの絵本はストーリーがある一般的な絵本ではない。どちらかといえばメッセージ本である。心が弱くてどうしても立ち上がれない人たちに向けてメッセージを発信したつもりである。

灘校時代、多くの不登校生徒に接してきた。残念ながら途中で退学していった子どもたちも少なくはなかった。合格発表の際には体育館で満面の笑みをたたえていた子どもたちが、時間とともにさまざまな壁に直面し、それを越えられずについには通えなくなる。

教員として、もっと気楽に生きればいいのになと思っていた。特に、義務教育期間は成績がいくら悪くても卒業まではさせるのが一般的である。高校であってもほとんどがそうで、卒業できそうになければあの手この手を使ってでも卒業を認定する。相当な不登校であっても卒業しているのが一般的なのである。

退職したら、それでも通えなくなった子どもたちに対する贖罪という意味ではないにしても、なにかしらのメッセージを発信できる絵本なり小説なりを書ければと思っていた。不登校生徒の実例を出しながらノンフィクション本を書くのは違うと思ったからである。

学校によっては保健室に置いてくださっているところもあると聞くし、昭和中学校・高等学校同様に全教室の学級文庫に入れてくださっている学校もあると聞く。大人になればわかるとしか言いようがないが、子ども時代はもっと気楽でいいのになと私は考えている。大人になったらもっと苦しいことが、逃げられないことがたくさんあるのだ。せめて子ども時代は笑顔いっぱいで過ごせばよい。

かく言う私も高2だったかのときは70日ほど学校を欠席した。当時は不登校という三字熟語がなく、一様に登校拒否と呼ばれていた。両親は学校に行こうとしない私に何も言わなかった。学校からの電話もまったく鳴らなかった。おかげで不登校生徒という札をおでこに貼られることなく、呑気に過ごすことができた。

確かに成績は下下下の鬼太郎ではあった。面談のたびに担任の先生からお小言を頂戴していた。が、欠席が悪だという意識は全くなかった。その点では超が付くほど貧乏ではあったが、いい時代に、そしていい家に、たまたま生まれてきたもんだなと今になれば思う。気楽に気楽に。

木村達哉

追記
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