11月17日。沖縄で大きい塾を経営しておられる方にお会いする。県外から出てきてからここまでの人生について、私のラジオ番組ではないが深掘りしていった。県外の人間だからこそ経験したことも共通で、おおいに盛り上がった。
私が沖縄で活動を始めたのはちょうど10年前。興南高校の先生方と島酒を飲み過ぎたのがきっかけで、NPOおきなわ学びのネットワークを立ち上げた。決して順風満帆ではなかった。どうせ沖縄で儲けるつもりなんでしょと言われたこともある。
さすがに今となっては沖縄の一部と認めていただいたのか、琉球新報で連載コラムを書かせてもらったり、ラジオのレギュラー番組を持たせてもらったりしていることもあり、住民票がある自宅は兵庫県にあるんですと言うとウチナーンチュの皆さんに驚かれることが増えてきた。
宮沢和史さんがゲストの際、ひーぷーさんが「沖縄にはテストがある」と仰った。とても悲しいテストなのだけれども、要は沖縄はそういう目にばかり遭ってきたということなのだろうなと思った。
宮沢さんは合格するのに30年かかりましたと仰った。私はまだ10年。果たして本当に合格したのかなと思ってばかりいる。今日お会いした塾経営者も、県外の人間が沖縄で塾を始めるとなると、そして今となっては多くの教室を抱えておられるとなれば、それなりには「テスト」を受けてこられたのだろう。
彼から届いた「これからも沖縄の教育をともに支えていきましょう」と書かれたLINEの文面を読み、12月23日に那覇で行われる数年ぶりのNPOおきなわ学びのネットワークの勉強会では英語の勉強法だけではなく、沖縄の教育について少し語らせてもらおうと決めた。
私も沖縄の一部になれているなら、否、今はなれていないにしても死ぬまでになれるのであれば、宮沢さんのように覚悟を決めて、今まで培ってきたことを伝えながらできるだけことをさせていただこう。
木村達哉
追記
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