11月25日。三島が割腹自殺を図ったのは1970年の今日である。私は5歳だったが、借金を2億円近く背負っても自殺するしかないなと静かに口に出すだけだった父なのに大騒ぎしたのは三島の自殺と沖縄の本土復帰だけであったから、ぼんやりとだけれども覚えている。
思えば私の父は変な教育者だった。貧しい我が家だったのでおもちゃは人並みではなかったけれども、4人家族には狭すぎる2部屋しかない家に本棚だけは数本あった。父と母が本を紐解いているのは見たことがないので、私のためだったのだろう。
小学生時代、朝日新聞のテレビ欄の下に「少年少女世界文学全集五十巻」が紹介されているのを見て、次の誕生日はこれがいいとねだった。両親はこんなものを本当に読むのかと訝った。『小公子』の読み方すら知らなかったが、欲しくてたまらなかったのである。
読むたびに読書感想文を書いて両親に提出した。言われて書いたわけではない。けっこうなカネを出してもらった手前、読んだことを示す感想文は座りが良かったのである。日本の文学作品は含まれていなかったので、別の日に掲載されていた「少年少女日本文学全集五十巻」を翌年の誕生日に買ってくれろとねだったが、今度は拒否された。
毎年の誕生日プレゼントが3万も4万もするようでは本を読みながら飢え死にする。しょうがないから月々の小遣いをもらうと近所の小さい本屋に走り、太宰治や夏目漱石、三島由紀夫や芥川龍之介を買った。
こういう本を買ったというと、弟に黙って父はその本代をくれた。本は俺がカネを出す。それ以外のものは小遣いで買え。そう言ってくれたので無遠慮にその本屋に足を運び続けた。遠藤周作、川端康成、星新一たちが私を迎えてくれた。
高校時代、学年でビリから2位を取った私には何も言わなかった。そもそも高卒の両親は学校の勉強など適当でいいと思っていたのではないだろうか。それでも本だけは読んでほしかったのだろう。私の本代はかなりの額になったはずだが、父は本を見せると黙って本代をくれた。小学生中学生時代の小説は高校に入ると実存主義やポストモダニズムに、ユングとフロイトに姿を変えた。
今の私を作ったのは間違いなく読書である。読解ではない。読書である。今の日本は大人も子どもも本を読まなくなった。日本人の文化レベルが堕ちていることと政治も経済も悪くなって国も人も貧しくなっていることとは無関係なのだろうか。三島が生きていたら、今の日本人を見てどう思うのだろうか。
木村達哉
追記
メールマガジン「KIMUTATSU JOURNAL」を無料配信しています。読みたいという方はこちらからご登録ください。週2~3通のメルマガが私から届きます。勉強について、英語について、幸せについて、人生について、お金について、書いています。