2月3日。節分につき豆まき。拙宅では床に落ちている豆を片付ける必要がないのは、それをきれいに食べてくれる彼女がいるからである。食べ過ぎるのも良くないので、撒く数は気持ち少な目にしなければならないにしても、こういうときに助かる。
宿題を未提出の児童に「土下座しろ」と言った愚かな女性教諭がニュースになっていた。こういう報道を目にすると、日本の教育レベルが堕落していっているのがわかる。本来なら学校の教員になってはならない人物がなってしまったのだろう。
宿題はそれ自体が目的なのではない。目的はあくまでも子どもたちが力を伸ばす手助けをすることである。宿題はそのうちのほんのひとつの手段でしかない。目的と手段を取り違えると、提出しただけで「素晴らしい生徒」という評価を下すことになる。
提出しても力を伸ばせないようでは意味がない。逆に提出しなくても力を伸ばすことができるなら全く問題ない。私の場合、中学校の間は『5ステージ英文法完成』を週末の課題として提出させていたが提出点などなく、検印も押していなかった。
どの程度の英語力が付いているかをチェックするために提出させていたのであり、それは生徒たちにも伝えていた。解答解説の冊子を配付し、解き終わったら即座に添削をして間違えたところをやり直す指示を与えていた。そうしないと学力が身につかないからだ。
解答冊子を写すことには意味がない。なにしろ提出しても褒められないし、提出点も無いのだから。あるのは試験の点数のみである。しっかり勉強したのであれば点数は取れる。逆にいくら提出したって実力が身についていないことには意味が無い。
土下座させられた児童の心が傷ついていなければと願う。愚かな教員が今後の身の振り方をどうするのかは知らないけれども、教師は権力者でもなんでもない。生徒たちが力を伸ばす手助けをしてやるコーチでありサポーターなのである。
木村達哉
追記
メールマガジン「KIMUTATSU JOURNAL」を無料配信しています。読みたいという方はこちらからご登録ください。英語勉強法について、成績向上のメソッドについて、いろいろと書いています。週2~3通配信です。家庭や学校、会社での会話や先生方は授業での余談にお使いください。